青葉考古学倶楽部
茨城県在住の元サラリーマンです。
2015年9月27日日曜日
BUDAPEST素描
観光シーズンのため様々なイベントが行われ、各国から多くの観光客が訪れていた。
卒業式
吹き抜けの天井から光がさし、国の歴史を語っているのか清楚で哀愁をおびた国家が流れて始まった修士の卒業式。学生達の達成感の表情がまぶしく輝き、これから多方面で幸多い人生を送ってほしいと願うばかり。その末席に立ち会うことのできた私どもの娘が、Hungaryの皆様の慈しみのおかげでこの日を迎えることができましたことを、深く感謝いたします。ありがとうございました。
2015年9月25日金曜日
Budapest再訪
今回はWien(ウイーン)経由で行ってみようと言うことで、飛行機も順調で30分以上早く到着し余裕で乗り換えができるなと思っていたら、午後6時過ぎには到着するはずのBudapestへは11時過ぎにたどり着く始末、しかも電車で。ヨーロッパの流儀に振り回された旅となりました。
2015年9月13日日曜日
午前8時の風景
常陸太田市のこの付近は特に被害はなかったようです。すでに稲刈りが終わっているところと、まだなところとのまだら模様で、風の影響から稲が寝てしまっているところは難儀するのでしょうね。強雨のおかげで拾えることもありますが、線刻があっても粘土の違い、器壁の厚みが違う、なでが違う、焼成が違う?など工人の違いだけではないでしょうね。
2015年9月6日日曜日
日立の海岸線 Ⅳ
日立市相田町付近。砂浜と砂岩質の岸壁との関係がこの茨城北部の海岸線の特色なのかもしれない。現在と古代との海岸線のあり方は、当然時代ごとの変化を想定しなければならないのだろうし、歴史云々だけではなく散歩のコースとしても見るべきものがある海岸線だと思う。
日立の海岸線 Ⅲ
日立市にある川尻漁港周辺。
日立の海岸線 Ⅱ
数十年ぶりに見た小貝浜海岸。記憶の中の景観と随分と変わってしまっているように思う。
日立の海岸線 Ⅰ
旧十王町にある長者山遺跡周辺の地形を考えると、このあたりの水田が元の海岸線であったのだろうと思うが。
北茨城の海岸線 Ⅳ
中郷町所在の天王塚古墳群付近の海岸線。砂浜が続くが、さて当時は同様だったのか。線路に分断され二つの鳥居がある神社もあります。
北茨城の海岸線 Ⅲ
北茨城市にある大北川河口部。周辺の地形を眺めれば、注目するべき地点なのかもしれません。
北茨城の海岸線 Ⅱ
北茨城市大津町の里根川河口部。周辺には注目される「モノ」がありますが、流路は時代によって移動しているのでしょうから。まだまだ、途上の大津周辺です。
北茨城の海岸線 Ⅰ
県境にある平潟港。数十年前にこの港を見た時感じた情緒が無くなったような気がする。震災の影響なのかどうかわからないが、堤防があるため海岸線が見渡せない。
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