2019年5月30日木曜日
日立市 河原子古墳群
日立市河原子町1丁目1に有った「河原子古墳群」。元は、大手企業の社員用アパート及びその福利厚生施設があった所で、部外者は立ち入らない場所でした。私も子供のころからこの付近は何度も通った場所でしたが、立ち入ったことはありませんでした。 以下は、(日立市文化財調査報告 第69集 「茨城県日立市 河原子」古墳群発掘調査報告書」 平成16年12月 日立市教育委員会)を参考にさせていただきます。 現在の河原子古墳群地点は大規模銭湯の敷地になっており、平成16年に開発に伴う発掘調査が行われた。その後、付近の調査も行われている。報告書のまとめとして、円墳3基、周溝を伴わない小型埋葬施設6基、土坑4基、防空壕などが確認されたとなっている。円墳の主体部はすべて横穴式石室である。築造時期は7世紀第Ⅰ四半期頃と推定されている。 以前、K氏よりコピーをいただいた、昭和31年に作成された「日立市の古墳調査の概要」には、河原子町朝日町1218、河原子(四ツ塚)古墳群として記載されている。円墳が4基、径は11mから18m、周溝あり、明治32年に発掘された古墳もあるとなっている。 子供のころから通いなれた海水浴場付近にあるこの古墳群ですが、海岸線も一部を除いてずいぶんと変わってしまいました。
2019年5月24日金曜日
常陸太田市薬谷町散策 3
「薬谷堰と水神様」 山田川と浅川が流れるこの付近は水に恵まれている地点だと思っていましたが、そうではなく、江戸時代に日照りの害を防ぐため堰を設け、下流の天神林町や谷河原町などへ分流させる仕掛けを作っていたんですね。 古墳時代はどのような状況だったのか気になるところです。堤防から西側を眺めれば、横穴墓群が存在する花房町の丘陵がよく見える。
常陸太田市薬谷町散策 2
そして「近津神社」。元は現在の地から南東方向200ⅿほどの処にあった「龍九寺」内にあって、元禄七年(1694)に今の地に遷座。この看板、以前にも見ているはずなのに記憶にない。しばらくぶりに見るこの付近の様子は木々が伐採され開放的になり、ますます住宅が建て込んできて嫌な予感がする。 以前、双孔円板を拾ったことがあり、土器も拾えるし、元は何があったのか気になる地点です。
常陸太田市薬谷町散策 1
先週入手した「薬谷町お宝散策マップ」のパンフレットを参考にして、気になる地点を巡ってみた。
パンフレットと同じ内容の立て看板が薬谷公民館にあった 先ずは、薬谷町の古代の寺跡と大里町にある長者屋敷遺跡に関する看板と、それに関する石碑。 薬谷町にある「古代久慈郡の寺跡」の看板は今回初めて見ました。
2019年5月19日日曜日
2019年5月18日土曜日
2019年5月10日金曜日
2019年5月5日日曜日
360°舟戸山古墳
カメラの管理が悪いためセンサーにごみが付いてしまっています。お許しください。
近年、海浜型古墳というものが提唱されています。大いに結構なことだろうとは思っていますが、茨城県で言えば、鹿嶋から那珂川流域までの言及にとどまっており、久慈川流域より北側の古墳群については、空白地帯ともいえる状況となっています。 日立市、高萩市、北茨城市と、これらの地域に展開する古墳群のほとんどは、まさしく海浜型とよべる海岸線に築造されています。その中で最大規模となる可能性がある日立市久慈町にある「舟戸山古墳」。大正年間に前方部が削平され墳丘の全長は不明瞭ですが、その断面は見ることができます。画像は南側から時計回りに墳丘を見た画像です。カワセミの巣穴もあります。