2012年8月13日月曜日

進行形

最近読んで面白いと思った、2009年のシンポジュウム「前期古墳の変化と画期」をまとめたもの。その中の
「前期古墳の埴輪」 廣瀬 覚さんのなかから抜粋させていただきます。
「円筒埴輪は、同時期に併存する特殊器台や特殊器台形埴輪の模倣から始まる点は間違いないのですが、特殊器台や特殊器台形埴輪からは技術的に独立したかたちで誕生し、展開したものと考えています」。 「奈良盆地東南部では東殿塚古墳以降、どうも定型化以前の鰭付円埴輪の展開が継続しているようです。東殿塚古墳とⅡ群の鰭付円筒埴輪をつなぐ資料として埴輪研究者が注目しているのが、天理市の西山古墳の資料です」。「Ⅰ群の円筒埴輪が奈良盆地東南部で成立して、その次の段階には東殿塚古墳において古式の鰭付円筒埴輪が出現します。この古式鰭付円筒埴輪の後続型式を中心とする時期をⅠ期新相とし、Ⅱ群が成立するまでの段階に充てたいと思います。Ⅱ群はⅠ期新相から系譜的に連続するかたちで成立してきます。それは佐紀古墳群の登場とも重なってくるのですが、その段階には奈良盆地東南部でも櫛山古墳が築造されていると考えますし、やや遅れて渋谷向山古墳が築造されるということで、Ⅱ期の埴輪の成立、展開を、従来のように佐紀古墳群を中心とする奈良盆地北部の勢力との関係のみで捉えるのは適切ではないと考えます。現状では埴輪の純粋な内容によって、東南部か北部か見分けるというのは非常に難しいと思っています」。 

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