2019年8月11日日曜日

資料から見えてくるもの





常陸太田市にある「星神社古墳」。古墳を囲むように育っている稲が首(こうべ)を垂れてきました。
この風景が元々の風景でないことは、2008年に田中新史氏とそのお仲間が発刊した土筆第10号に記述されていますが、さて、それ以前の状況はどうだったのかは、多分、鴨志田家古文書から推測するほか方法がないと思います。ただし、内容はおもに元禄年間と天保年間とに限られてしまうようです。これらは、故鴨志田昌夫氏が遺された「古文書を聴く 鴨志田昌夫歴史論文集 あずさ書店2016念9月1日発行」を参考にさせていただいていますが、延宝二年に光圀より拝領した現在の星神社古墳について、元禄二年当時の当主である鴨志田又左衛門君儀が残した古文書では「森」と表現しています。周辺を含めてのことなのかは不明ですが、光圀はそこにある「きつね穴」のみに執着しており、これを古墳と認識していなかったように見受けられます。那須の古墳の学術的発掘調査を指揮した光圀らしくない一面ではあります。

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