2023年4月23日日曜日

水戸市 安戸星古墳群跡地から





 西原古墳群の報告書に記述されていますように、那珂川の支流の田野川を挟んだ位置にある、水戸市飯富町の「安戸星古墳群」があった地点を訪れてみました。 画像2段目の右側、特別支援学校がある高台が安戸星古墳群があった地点でしょうか。 画像3段目は、近くの見通しがきく地点からみた西原古墳群がある台地方面です。

過去にもこの地点には来たことがありますが、その時は西原古墳群の存在を知りませんでしたし、安戸星古墳群と那珂川との関係性しか見ていませんでした。

画像4段目の、国土地理院の地形分類図を参考にすると、画像中央部にある特別支援学校地点が安戸星古墳群があったあたりで、下の方の鳥居マークの少し東側あたりに西原古墳群が展開しています。 そして、お互いが川をはさんで正対しているようにも見えて、その距離はおよそ800mです。

水戸市教育委員会の調査によると、西原古墳群は前方後方墳を嚆矢として、その後円墳を主体(方墳もある?)とする総数23基の古墳群となり、対岸にある安戸星古墳群は全長28.3mの前方後方墳を築造後、方墳1基と円墳を含む13基の古墳群となっています。 

さて、もう一度地形分類図を見ていただくと、右端に蛇行して流れる那珂川が見えます。 古墳時代はもっと元気な流れだったと推察しますが、那珂川は久慈川と共に水害の頻発地帯でもあります。 この飯富町も2019年に大きな水害に見舞われました。

いつも思うのですが、十王台式時代からの人びとは、河川との折り合いをどのようにつけて、地域の開発や水運や水田を運用していったのか、この両古墳群はいろいろと考えさせてくれる存在だと思います。



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