2013年1月11日金曜日

1月6日の記録

今年初めての常陸太田市。竹合町の丘陵北東部にある石室の下調べに行ってきた。丘陵から下りてくると、目の前のお宅のご主人らしき人がこちらを凝視しているのに気付き、まずいと思いつつ近づきながら挨拶をして事情を話すと、古墳がある地点の地主さんであった。無断で立ち入ったことをお詫びし、今後の立ち入りを快諾していただいた。その時の話。 古墳の盛土は三代前のご先祖が興味本位で取り除いたようである。石室奥の線刻はその時からあったもよう。副葬品については不明。石室が開口していたかも不明。墳丘は円形であった。過去に茨城大学が調査にきたことがあった。横穴墓がある付近は「舟見」と言う字名で今も使われている。時代は不明だが丘陵上に寺院があった。明治時代は畑として開墾されていた。ご主人はなかなか卓識をお持ちの方で、この地の地形や地質、梵天山の立地などに字名を含めた見識は、いやいや、当たりかもしれません。

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