2020年6月7日日曜日

久慈川右岸の古墳群雑記 もうひとつの道

前回は、県道61号線が古墳時代の久慈川と那珂川とをつなぐ陸路の可能性を指摘しました。那珂川の下江戸付近の対岸に船渡の地名がありますが、そこから少し上流の小場にも舟渡の地名があり、さらに小場城跡もあるという歴史的にも意味がありそうな渡河地点だろうということで、今回、もうひとつ可能性がある陸路を提示してみたいと思います。まず久慈川流域の発着点として、舟を最大活用するとの前提で、その支流の玉川に架かる道本橋付近を船着き場と仮定して那珂川流域の小場に向けて出発していきます。 上の地図上の赤点は各撮影ポイントで、黒丸は「五所皇神社裏古墳」を示しています。


2段目画像が「五所皇神社裏古墳」です。国道118号線をくぐって瓜連方面を目指します。
国道118号線をすぎて、画像真ん中あたりを右折していきます。
坂を上がってから右折して、水郡線の陸橋を渡ります。踏切があった道路は閉鎖されたようです。
そのまま道なりに進み「弘願寺」前の十字路を直進。

道が二股に分かれる地点に3基の道標が佇んでいました。真ん中の道標を見ると「右小ば」、「左下江戸」とあり、左は静神社付近を通り県道61号線に合流する道のようです。その下の文字は「舟」と読めます。裏にはかすかに年号が「寛政」(1789~1800)とあり、ひょっとしたら古代まで遡れる道なのではとワクワクしてきました。ちなみに、右側の初代と思われる道標は風化していて文字は読めませんでした。
二股を右に行くと、旧瓜連町にある「新宿古墳群」の中を通っていきます。右に見えるのが前方後円墳の「権現塚古墳」です。この道象徴的ですよね。
道なりに進み細い十字路を直進。少し下って玉川まで伸びていく谷津を渡って少し上ります。
上って行ってT字路を右折。
そして分かれ道を左へ、小さなIT関連会社の前を道なりに進みます。
200mほど進むと未舗装道路になります。この未舗装道路部分は、国土地理院地図とスタンフォード大学提供地図には載っていますが、グーグルマップは認識していないようです。
道幅は乗用車が通れるほどです。
未舗装道路を650mほど進んでくると、上村田方面からくる道路とのT字路を左折。
そして、県道318号線との交差点を左折。
県道102号線とのT字路に見えますが、細い道を直進。
那珂川の堤防手前の道を左折して高台に上がると小場城跡があり、あおれんじゃあ氏が常陸大宮市教育委員会より依頼されて作成した解説版が立っています。彼のホームぺージ「北緯36度付近の中世城郭」も参考にすると、この城は鎌倉時代に築造されたとあり、ここまで通ってきた道も鎌倉時代までは遡れる可能性があるのではないでしょうか。

そして小場の那珂川堤防に到着。玉川からの行程は約5.5kmで、県道61号線よりは起伏が少ないように感じました。この小場にある「舟渡」の地名と下江戸ある「船渡」の違いは、字づらからすると下江戸がメインで小場がサブ的な渡河地点だったのか、どうなんでしょうかね。この付近の那珂川流域の古墳は久慈川流域とくらべて希薄に見えて、6世紀の以降の古墳が散見される状況です。著名なのは茨城大学が調査した「徳化原古墳」があります。那珂川までの直線距離は約2.8km。なお周辺には複数の城跡があり、小場付近が重要地点だったことに間違いないでしょう。 そして妄想を膨らませると、常陸大宮市には「五所皇神社裏古墳」の北西700m程の地点にある縄文時代中期の遺跡から、新潟地域特有の土器と共にヒスイの大珠8個が出土しており、すでに広範囲な交流の下地が出来上がっていたのではないでしょうか。

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