日立市大みか町にある大甕神社付近をグーグルマップで見ていたら、「大甕神社古宮」なる表示があり、どうやらそれに関する石碑があるらしい。 地元のことには不案内な私なので、石碑観察を含めて勉強方々周辺を歩いてみました。 大甕神社は入口が2か所あり、6号国道沿いと旧道側にもあります。(画像1段目、2段目)本殿は岩山の上にあり(画像5段目、6段目)なかなかスペシャルな感じがします。この神社の由緒はネットその他で見ていただくとして、肝心の古宮跡は神社から6号国道を隔てた50mほど坂を上がった所にありました。ここで風神山が登場します。その麓にあるのです。風神山へと登っていく道沿いにあるのですが、わき道を回っていけるはずなのに、行ってみるとロープが張ってあり進入禁止になっていました。しかたなく、藪に入って(画像7段目)いくと、ありました。ちょっと見にくいですが、石碑には「大甕山上陵墓有」なる文章がありました。気になりますね、どうなんでしょう。 神社のホームページによると、元禄8年(1695年)に光圀の命令により神社は現地に移されたとあります。 その他、旧道沿いに「泉川道標」がありました。(画像9段目)明和八年(1771年)に建てられたとあります。
さて、以下は私的意見と妄想の世界です。 日立方面から東海村方面へ、バイクか自転車で走行したことがある人は気が付いているはずですが、石名坂を下っていくと気温の違いに気が付きます。日立とくらべて、東海村、常陸太田市は夏暑く冬寒いのです。石名坂付近は福島県棚倉町まで続く棚倉断層が伸びているそうで、それを境に北と南では違う地層になっており、それが自然環境にも影響していることが想像されます。現実に大甕神社の本殿も5億年前のカンブリア紀の岩盤の上に立っているとなっています。 また、国道の山側や風神山の中腹にある企業の研究所付近を眺めてみれば、あちこちで岩盤が露出しています。
低地に河岸段丘、自然堤防などで構成されている東海村の河口部や常陸太田市の久慈川中流域から石名坂を上ってくると,海岸線からすぐに山が迫ってくる台地がずっと続いていく、所謂、異郷とも思える境界にあるのが、大甕神社であり風神山の峰なのではないでしょうか。 大袈裟いに言えば結界に在する関所的存在がゆえに、神社の由緒につながっていくのでは。 そう想定すると、やはり風神山は神名備の山と言えるのかもしれませんね。
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