2021年8月21日土曜日

瓜連は都市だった




 2019年12月に常陸大宮市で開催されたシンポジウムで、日本中世史が専門の某大学T教授が、「中世、瓜連は都市だった」と言うような発言をされ、浅学な私は、所謂ビックリコイタのです。 上段画像は現在の瓜連の元の繁華街と思われる通りです。街灯などに昭和の風情が残り、地方銀行があり、往時のにぎわったであろう面影が散見されます。下段画像は、城跡でもある常福寺です。クランク状に90度に曲がる道もあり城下町の痕跡が残っています。 中世史には疎い私ですが、しばらく考えてみれば、時代は違えどもこの久慈川右岸には、径40m級の円墳、おはぐろ塚、鈴照山塚、稲荷様古墳などがあり、6世紀築造と思われる小円墳も多数あり、中心地としての瓜連だったかは不明ですが、対岸の常陸太田市中野町付近の状況も見てみれば、久慈川をはさんで相対的、あるいは職掌の違いを補完しあっての都市構造の萌芽が、6世紀頃には出来上がっていたのではないのかなと夢想する今日この頃です。

0 件のコメント:

コメントを投稿