2021年12月30日木曜日

締めの御挨拶





梵天山古墳から中野冨士山古墳、星神社古墳へとご挨拶。

宝金剛院では、屋根の銅板の葺き替え工事が行われていた。

某C国コロナウィルス以外に、昨年と今年はいろいろあった。

まあ、これも70の節目の年に完結できそうなので良しとしよう。

来年の2月には注目すべき活動が再開しますが、その前に私的調査を某所で行うつもりでいます。


 

2021年12月25日土曜日

日立市 会瀬鹿島神社









 日立市会瀬町にある「会瀬鹿島神社」。 この神社は、周辺を地元企業やその子会社などに囲まれていて、なんだか神威が感じられないように思っていましたが、市報正月号の表紙に取り上げられました。 2段目の画像に海から朝日が昇ってくるような表紙です。

これからの人気スポットになるかもしれません。
由緒によると、大同年間に、この地を開拓した祖先が鹿島神宮の分霊を勧請したとあります。
成澤鹿島神社も同様な文面でしたが、開拓した祖先とは他所からの移住者だったのか、気になるところです。


2021年12月23日木曜日

The old soldier is dead



 やはり倒れる危険性があるので、老兵は退場させられました。

静かに、ささやかに、平和に暮らしていくのが、状況によって無残にも否定されるのは、あるいは否定されつつあるのには怒りを覚えます。


2021年12月18日土曜日

日立市 成澤鹿島神社








 たまには地元のことについての勉強のために、日立市中成沢町にある「成澤鹿島神社」へ。

6号国道から一段下がった所にある、と言うよりも池の川さくらアリーナ方面まで延びる谷津の奥にあると言ったほうが正解かもしれません。 当然意味ある地点に鎮座しているものと思われます。

祭神は武甕槌命。 由緒としては、大同4年(809年)に、この地を開拓した祖先達が、鹿島神宮の御分霊を勧請したとあります。 いや、古いですね。 付近には古墳があったのではと思いたくなります。

2021年12月16日木曜日

梵天山古墳 3



昨日の梵天山古墳はぽかぽかと暖かだった。 柚子の黄色と青空とのコントラストが冬らしくていい。 地元の御夫婦を含めて4人の方達が来場された。

私の参加は昨日で終わりで、来年の2月には体調を整え、ガンバルマンです?

 

2021年12月14日火曜日

梵天山古墳 2




 昨日は少し風があったが、日差しがあり暖かかった。 今回は古墳周辺の観察から始まっています。 昼休み、宝金剛院の甍の上を飛んでいく白く光る飛行機を眺めながら、前方部に寄りかかり食べる弁当は、うまい。 今、腰の具合がよくないので、飛び飛びの参加にしてもらいました。

2021年12月11日土曜日

ある領域を





 知人のK氏からある領域についての情報を頂き、田渡と瑞龍にある寺を巡ってみました。

確かに古そうで篆書文字もありますが、不勉強で良く分からないです。

でも、面白そう。 シーズンオフの藪に入れない時期に寺巡りもやろうかな。

梵天山古墳 1



 常陸太田市島町にある「梵天山古墳」。 美しい墳丘が残されています。

私は13日からお邪魔します。

2021年12月8日水曜日

Old soldiers never die




 老兵だからって死んでたまるか! 私が住む住宅団地の入り口にあたる地点に小さな歴史があります。

60数年前、この付近には蛍が飛んでいました。 老木だからってただ消えていくのは忍びない。

ひるがえって、某大国とそのコバンザメみたいな国の、嘘とファンタジーで作りつつある歴史は、自国の将来に災いをもたらすのが見えているのに、看板に偽りありの帝国もどきには、わかんねんだろうな。



2021年12月2日木曜日

岩船神社から遠望してみる3





 そして、常陸太田市下河合町にも「岩船神社」がありました。国道349号線「道の駅ひたちおおた」の並びにあります。

しかし、神社にあった碑文によると、元は八幡神社だったが、光圀の命で「天磐楠舟命」所謂「武甕槌神」の副神を祀ったとあります。 この神社は佐竹時代のかもしれません。

そうなると、旧水府村西染に何気なくある「岩船神社」は、少し輝いて見えなくもないなと思ってしまいます。 久慈川の支流、山田川とこの地点が重要な意味を持っているのかもしれません。

もう少し妄想を膨らませると、この常陸太田市は久米、佐竹(狭竹)、船瀬足尼などの名称と共に、梵天山古墳を盟主とする久慈古墳群があります。それと、岩船神社の祭神「饒速日命」。これらをつなぎ合わせると、物部氏と久慈古墳群との濃厚な関係性が見えてくるように思えてきます。

まあ、考古学的な文章にするためには、憚れる内容になってしまいましたが、将来的にはこれらを絡めた、一般向けの常陸太田市の古墳時代を解説するためには(某N局のテレビ特集のように)少しの演出は必要かもしれません。