2021年12月2日木曜日

岩船神社から遠望してみる3





 そして、常陸太田市下河合町にも「岩船神社」がありました。国道349号線「道の駅ひたちおおた」の並びにあります。

しかし、神社にあった碑文によると、元は八幡神社だったが、光圀の命で「天磐楠舟命」所謂「武甕槌神」の副神を祀ったとあります。 この神社は佐竹時代のかもしれません。

そうなると、旧水府村西染に何気なくある「岩船神社」は、少し輝いて見えなくもないなと思ってしまいます。 久慈川の支流、山田川とこの地点が重要な意味を持っているのかもしれません。

もう少し妄想を膨らませると、この常陸太田市は久米、佐竹(狭竹)、船瀬足尼などの名称と共に、梵天山古墳を盟主とする久慈古墳群があります。それと、岩船神社の祭神「饒速日命」。これらをつなぎ合わせると、物部氏と久慈古墳群との濃厚な関係性が見えてくるように思えてきます。

まあ、考古学的な文章にするためには、憚れる内容になってしまいましたが、将来的にはこれらを絡めた、一般向けの常陸太田市の古墳時代を解説するためには(某N局のテレビ特集のように)少しの演出は必要かもしれません。

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