しばらくぶりに、常陸太田市松栄町にある「道場塚古墳」を訪れてみましたが、竹藪になっていました。 この古墳については、昭和34年9月に発刊された 茨城県古墳総覧(茨城県教育庁社会教育課)に久慈郡として、星神社古墳を筆頭にこの古墳も含めて8基の古墳が記録されています。
通番号725 市町村番号5 道場塚 久慈郡金砂郷村松栄字道場塚 前方後円墳、長68m、後円径38m、高7.5m、前方巾高3.5m現在墳丘は破壊され、後円部一部分残存 と記録されています。
さて、本題です。この道場塚古墳は前方後円墳で、浅川のほとりに築かれています。 横穴式石室で埴輪があるとなっていて、全長は68m以上はありそうな規模です。 私は、後期の中葉あたりに築造された首長墓なのではと思っています。(素人判断です悪しからず)
そして、ここから南東方向2kmほどの所に、梵天山古墳を筆頭に久慈古墳群が鎮座しています。 前期前方後円墳が3基、中期築造とされる円墳が2基、いずれも首長墓と言ってさしつかえないと思います。
問題は中期築造とされる円墳の、その後の道場塚古墳までの空白期間を埋める首長墓がどこにあるのか。 私も常陸太田市のあちこちを歩きましたが、それらしき古墳は見当たりません。 中期後半と後期初頭の古墳はどこにあるのか。 常陸太田市以外の久慈川流域も考慮しなければならないのかもしれません。
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