小山市飯塚にある「摩利支天塚古墳」。
後円部から見下ろす位置に前方部があり、やはり琵琶塚古墳より古い様相を見せています。
この古墳から東南方向、姿川の対岸に成沢遺跡があるとなっていますが、本郷古墳も含めて注目です。
後円部から見下ろす位置に前方部があり、やはり琵琶塚古墳より古い様相を見せています。
この古墳から東南方向、姿川の対岸に成沢遺跡があるとなっていますが、本郷古墳も含めて注目です。
茨城城郭研究会では、知人のイガレンジャー氏とオタクのK氏とが活動しているので、図録も購入しました!
この古墳群については、下野市教育委員会事務局文化財課が、web上に発掘調査成果を公開していますので、ご覧いただければと思います。
そして、鬼怒川下流域にある茨城県の旧千代川村、八千代町などにある、下栗野方台遺跡や仁江戸古墳群など、注目される遺跡と下野の古墳群との関係性はどうなんでしょうね。
直線道路先の左側の茂みの中に古墳群はあります。 右側には方墳の朝日観音1号墳と弥生時代の住居跡が調査されているそうです。
西隣に3号墳が有るとなっていますが、これも良く分からないのですが、2号墳のでしょうか、トレンチの跡がありました。
古墳がある地点は、東から鬼怒川と江川、そして西側にある田川とにはさまれており、参考になるかは分かりませんが、国土地理院の治水地形分類図を見てみると、(赤印が古墳群がある地点です)この暴れ川をどのように利用していたのか興味がわいてきます。
説明板にあるように、全長85mほどの後期前方後円墳。
この古墳群は、微高地の東側寄せて築かれていて、筑波山を意識しているようにも見えますが、考えすぎでしょうか。
後円部にウサギでしょうか、巣穴のような穴がありました。
本当にしばらくぶりに、栃木県の古墳を見て回りました。
この古墳群は東に鬼怒川、西に田川とにはさまれた微高地に築かれています。
径30mほどの円墳だそうです。