「常総の歴史」創刊号に、志田諄一さんの論考「磯部と舟運」があります。 そのなかで茨城県には磯部と言う地名が割合多いということで、旧地名ですが、西茨城郡岩瀬町磯部、猿島郡総和町磯部、筑波郡筑波町磯部、常陸太田市磯部が取り上げられています。 そしてこの磯部は漁撈や航海と河川では河川港、舟運にも従事したのではとしています。 この常陸太田市磯部町付近は、過去にさんざん歩き回った所でもありますが、このような視点でこの地を見たことが無かったので、暑い中ではありましたが、ちらっと見てきました。 上段の国土地理院の治水地形分類図は磯部付近を中心に見ていますが、赤丸が後期前方後円墳の谷川原1号墳(入定塚)地点です。 この古墳は谷川原古墳群の中でも一番低地の右側に見える源氏川と下に見える久慈川とに近い位置にあります。・・・・・・・・・・・・・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿