2024年8月8日木曜日

常陸太田市 もう一度磯部

画像は常陸太田市が公開しているハザードマップを借用しています。

この画像を見ていて気が付いたのですが、左下の黒丸地点。大きい方が梵天山古墳がある島町の独立丘陵です。 小さい丸が星神社古墳地点です。 その左にある中野町の丘陵先端部に中野冨士山古墳があります。 この図の白い地点は安全な地域で、赤が濃くなって紫になるほど洪水被害がひどくなる可能性を表しています。 これを見ると、常陸太田市の前期古墳は、気象条件によっては周囲が水浸しになる地点を選んで築造しているようにもみえます。 それを念頭に右側の黒丸を見ていただいて。 ここも前回紹介した磯部町で峰山地区の独立丘陵です。 これだけを見れば、ここにも前期古墳があってもおかしくないように思えますが、そう単純ではありません。 この峰山で過去に行った私的調査では、五十部神社の東側方向に、点在する3基の古墳の可能性があるマウンドがあり(峰山古墳群)、地形的には全体に平坦面が多く、開墾されているような印象を受けました。 その他茨城県遺跡地図によると、弥生からの集落跡と峰山館跡とがあるとなっています。・・・・・・・・・・


この峰山の丘陵東側には、源氏川と里川の合流地点があり、その流れが南下して久慈川と合流しています。 そして、以下は妄想です。 古代には太平洋から久慈川河口へと舟を進めてくると、左岸にある久慈浜、南高野をすぎると、矢じりのようにも見える峰山の丘陵が見えてくる。 そこは、久慈古墳群への関所あるいは道しるべだったのかもしれない。 これらの地形的条件を加味すれば、前期古墳が無いかわりに、古墳との親和性の良い十王台式から続く住居跡、船着き場、倉庫跡その他などがあったのではと・・・・・・・・・・・・・妄想が膨らみすぎですかね?

画像は、東側の源氏川方面から見た峰山の丘陵と五十部神社入口です。
 

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