2011年12月30日金曜日
ありがとうございました
今年の大事のことについては、皆さんも感じ思うことがあると思いますのであえて記しません。
私にとっての今年のエポックは、大洗町の姫塚古墳、車塚古墳の調査に尽きます。従来示されていた磯浜古墳群の系譜が覆ったことと、埴輪、葺石の状態を実見できたこと、とくに一瀬和夫さんと廣瀬覚さんの論考を読んだ後だったのでインパクトがありました。他に、私のアイドルである星神社古墳が社殿復旧のため墳丘の一部が削られ、樹木も伐採されたため景観が変わってしまいましたが、思いがけなく埴輪の採集が叶い、時間はかかるでしょうがそれの知見が発表される方向に動いています。今年還暦を迎えました、年を感じるのは鏡で自身を見たときと、若い人に30年、40年前のことを最近の出来事のようにしゃべっている自分に気がついたときぐらいで、これからも従来通り能天気に生きて行こうと思っています。それでは、今年一年お世話になりました。来年は良い出来事が続きますように。ありがとうございました。
2011年12月25日日曜日
2011年12月23日金曜日
大洗町 車塚古墳・姫塚古墳発掘調査現地説明会
少々寒い朝でしたけど、快晴で見学には申し分のない日をむかえました。円墳と考えられていた姫塚古墳は全長30mの前方後方墳と判明し、周溝内底面より小型丸底土器が出土しそれなりの年代が与えられているようです。車塚古墳は墳丘全面に葺石が葺かれ、石の葺き方も生々しく確認でき、そのうえ、壺形埴輪があり円筒埴輪の樹立状況も明瞭で、さらに埋没状態だった下段平坦面が検出され3段築成と、これだけセットでそろう古墳は今のところ県内においては他に無いのではないでしょうか。鏡塚古墳の今後についての説明もあり、地震によって被害をうけた部分の修復も含めた明細な調査がおこなわれる予定になっているとのことでした。見学を終えて戻ってみると古墳時代研究者の重鎮の方が関係者の方に適切なアドバイスをされていました。でも、私が想像したより研究者の人が少なかったなぁ~。
2011年12月18日日曜日
2011年12月17日土曜日
2011年12月4日日曜日
さっそくと十王台式土器
昨日の片平さんの話から刺激を受け、さっそく図書館で借りてきました。報告書ならびに紀要と来週のお知らせ。今年は五月にも森戸遺跡での十王台式土器と千葉県を発祥とする土器との友好的な香りがする講演をお聞きしましたが、昨日は少々物悲しい十王台式土器にまつわる内容でした。
2011年12月3日土曜日
勉強会
女房どのがお付き合いいただいている関根さんから、十王台式土器の勉強会があるから来ないかとの連絡をただき、13:00時にわが町にある博物館へ。関根さん主催の常陸志塾勉強会「土器がかわるということー十王台式土器・その後ー」講師は 片平雅俊さん。片平さんはわが町のその筋のかたです。十王台式土器の発見、制定から十王台遺跡の位置や内容、片平さんが調査した十王台南遺跡での1号住居跡概要など裏話も含め詳しく語っていただき、そのあと岩本南遺跡の内容や十王台で検出された方墳の意味付けなど示唆に富む語り口で参考になりました。私にとっては灯台下暗し、新知見でした。関根さん、片平さんありがとうございました。
2011年11月20日日曜日
たまにはね
娘は何かの学会だとかで昨日から東京へ。女房どのも知人と東京へ遊びに出かけ、昨夜からの雨が残っているし今日はおとなしくムスコと留守番。先日、古代学のキャッチボールを拝読しました。メンバーはジーナ・L・バーンズさん、森浩一さん、白石太一郎さん、下垣仁志さん、溝口孝司さん。溝口さんは相変わらず難解な文章ですが、(バーンズさんのも難解な論考です)バーンズさんの論考のなかに溝口文章解読のヒントがあり、そこに留意すれば何とか理解できそうです。後日再読。
他の研究メモのなかで私が注目したのは宮本繁雄さんの「纏向遺跡・纏向古墳群と治水事業」の論考でした。
他の研究メモのなかで私が注目したのは宮本繁雄さんの「纏向遺跡・纏向古墳群と治水事業」の論考でした。
2011年11月2日水曜日
大洗町 磯浜古墳群 姫塚古墳試掘調査の見学
前回お邪魔したときと比べて調査が進展して古墳への見解が違ってきているようで、新しい知見を蓼沼さんにお聞きし思わず唸ってしまいました。予定より若干遅れるそうですが現地説明会ではサプライズがありそうです。
大洗町 磯浜古墳群 車塚古墳試掘調査の見学
昨年の1月から3月にかけて実施された測量調査では、直径約87m、高さ約12.5mのデータが示されている。(従来は直径約95m、高さ約13mと認識されていた)今回の調査で、葺石が明瞭に確認でき、埴輪もかなり出てきているとのこと。調査は進行中なのでこれからの展開がたのしみです。
2011年10月30日日曜日
2011年10月29日土曜日
最近読んだ本
「豪族のくらし」 田中広明著 すいれん舎
「古代朝鮮墳墓にみる国家形成」 吉井秀夫著 京都大学出版会
「三角縁神獣鏡研究辞典」 下垣仁志著 吉川弘文館
「他界へ翔る船」黄泉の国の考古学 辰巳和弘著 新泉社
「研究最前線 邪馬台国」 いま、何が、どこまで言えるのか
石野博信、高島忠平、西谷正、吉村武彦編 朝日新聞出版
「列島の考古学 弥生時代」 武末純一、森岡秀人、設楽博己 河出書房新社
「古代国家と軍隊」皇軍と私兵の系譜 笹山晴生著 中公新書
私が考古学モドキをはじめたきっかけのひとつに、北部九州の弥生時代関連の本を読んだことにあります。登呂遺跡を代表とする牧歌的水田稲作の弥生像しか知らなかった私にとってはとても刺激的で、その後に続く古墳時代に興味を持ったのでした。「列島の考古学 弥生時代」はカラー写真が多く一般の方むけのようで、なかなか。あとがきにあるように、「弥生時代に関するすべてのテーマを網羅したり全体を時間軸に沿って記述したりはせず、それぞれが重要と考えたテーマや冒険的なテーマを選んで個人の意見を突出させ、その他のテーマは思い切って省略することで意見が一致した。」がバックボーンになっています。相変わらず東日本の記述は少ないですが、常陸大宮の「顔」が表紙にあるのは進化なのでしょうか。 私は万葉集の勉強をしていません。笹山さんの著書の中の「霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我は来にしを」 大舎人部千文の歌は近世だけでの物事の
解釈は誤りを生むこともありえるのかなと、事々考えさせられました。これからいよいよ「古墳時代の考古学」拝読します。
「古代朝鮮墳墓にみる国家形成」 吉井秀夫著 京都大学出版会
「三角縁神獣鏡研究辞典」 下垣仁志著 吉川弘文館
「他界へ翔る船」黄泉の国の考古学 辰巳和弘著 新泉社
「研究最前線 邪馬台国」 いま、何が、どこまで言えるのか
石野博信、高島忠平、西谷正、吉村武彦編 朝日新聞出版
「列島の考古学 弥生時代」 武末純一、森岡秀人、設楽博己 河出書房新社
「古代国家と軍隊」皇軍と私兵の系譜 笹山晴生著 中公新書
私が考古学モドキをはじめたきっかけのひとつに、北部九州の弥生時代関連の本を読んだことにあります。登呂遺跡を代表とする牧歌的水田稲作の弥生像しか知らなかった私にとってはとても刺激的で、その後に続く古墳時代に興味を持ったのでした。「列島の考古学 弥生時代」はカラー写真が多く一般の方むけのようで、なかなか。あとがきにあるように、「弥生時代に関するすべてのテーマを網羅したり全体を時間軸に沿って記述したりはせず、それぞれが重要と考えたテーマや冒険的なテーマを選んで個人の意見を突出させ、その他のテーマは思い切って省略することで意見が一致した。」がバックボーンになっています。相変わらず東日本の記述は少ないですが、常陸大宮の「顔」が表紙にあるのは進化なのでしょうか。 私は万葉集の勉強をしていません。笹山さんの著書の中の「霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我は来にしを」 大舎人部千文の歌は近世だけでの物事の
解釈は誤りを生むこともありえるのかなと、事々考えさせられました。これからいよいよ「古墳時代の考古学」拝読します。
2011年10月22日土曜日
2011年10月16日日曜日
星神社古墳の現況
今日の天気は、朝まで雨が残り気温が高めで昼頃からは暑く感じる陽気でした。
1959年刊行の「茨城県古墳総覧」には、「通し番号721・星神社古墳・久慈郡金砂郷村小島字本郷、前方後円墳、周湟、埴輪有り、全長90m、後円部径44.5m、高8.5m、前方部幅18m、高2m、周湟は後円部半分だけめぐっている様子である。墳頂に星神社あり。」の記録があり。2003年3月から4月にかけて茨城大学による測量調査が行われ、古墳のデータは御覧の通りです。その他として、葺石、段築なし、墳丘は全て盛り土と考えているとのこと。2008年、田中新史さん、白井久美子さんたちが「土筆10号」において、この古墳採集の特殊器台形埴輪等からの論考が発表され、茨城の前期古墳を考える上でのひとつの指針になったのではと思っています。