2022年6月30日木曜日

浅川のほとりから 4




 副堰橋から上流へおよそ400mほどに、名も無い橋が架かっています。

この付近は常陸太田市松栄町、高低差が無く流れがよどんでいます。

下流側を見てみると、道場塚古墳の茂みが見えています(2段目画像)。 そこから道路をはさんで鹿島神社があり、神社を南端に馬の背状に丘陵が伸びていて(3段目画像)、頂部には、太田一校生徒の調査ではマウンドが11基ほどあるとなっていますが、塚か古墳かは不明です。

2022年6月29日水曜日

まともな地点



 毎日殺人事件があり、毎日のようにどこかで火事があり、毎日のようにいい年した大人が不可解な事件を起こし、日本って本当にいい国なんだろうかと、思ってしまう今日この頃です。

まあ、あんな国よりよっぽどましだとは思っていますが。

暑いですが、この地点はまともで、順調です。星神社古墳付近。

2022年6月28日火曜日

浅川のほとりから 3




郡戸橋から900mほど上流にある橋。 名前が分からないので地図で確認すると「副堰橋」とありました。  南東方向に郡戸小学校が見えています。生徒たちは代々小学校の敷地で多様な土器片を採集してきました。 橋の北側には道場塚古墳が見えます。
 地元の方の話によると、元は3段目画像あたりに橋が架かっていて、そのたもとに古墳碑があったようです。

2022年6月27日月曜日

浅川のほとりから 2





 浅川と久慈川との合流地点付近にある沈下橋から、およそ400mほど上流にある郡戸橋からの眺め。

東側に、中野冨士山古墳がある中野町の丘陵が間近に見えます。 その、浅川に向いた斜面に横穴墓群が築造されています。 これらについては、昭和33年に太田一校の生徒たちが調査をして、31基の横穴墓群の存在を明らかにしています。 私達はそれらの一部しか確認していません。 

下段画像は、郡戸橋から上流方向を見たものです。 かすかに郡戸小学校が見えています。

2022年6月25日土曜日

浅川のほとりから 1




梅雨が明けたわけでもないのにとても暑いです。 なので、今日は早々に退散しました。

常陸太田市の前期古墳、横穴墓などの重要な遺跡群は久慈川支流の浅川、山田川流域にあります。

それらを、浅川のほとりから眺めてみたら面白いのではないかと思い、まずは久慈川との合流地点から。

上段画像は、浅川の堤防から見た久慈川との合流地点付近ですが、植物が繁茂していて合流地点が見えません。 河川の流路は古代と今とでは違っている可能性は大ですが、まあ、古代の流路を探る能力もないので、今現在の浅川からの眺めです。

3段目画像は、梵天山古墳がある島町の丘陵。4段目画像は、中野冨士山古墳がある中野町の丘陵です。
 

2022年6月23日木曜日

たまには




所用で常陸太田市へ行ったついで、ではないですが、季節の栗の花、ザクロの花などを眺め、そうだ、ここまで来たのだから、高柿町にある蕎麦屋さんで食事にしようと、常連さんの真似をして、けんちんとカレーの付け蕎麦大盛を食してみました。 う~む、おいしい食べ過ぎでした。 このお店、電動石臼で粉を引いていました。
 

2022年6月18日土曜日

考古学協会総会


 今日は、県立歴史館講堂において茨城県考古学協会の総会と研究発表会が開催されました。

昨年よりは参加人数が少ないように見うけられましたが。

研究発表は、私にとってはSさんの常陸大宮市の再葬墓の発表です。 久慈川と那珂川とにはさまれた常陸大宮市の台地は、今後も注目です。


2022年6月14日火曜日

円谷幸吉さん





 2011年の大震災で損傷を受け、新たに建設された日立市池の川アリーナ。

以前の時よりも沢山の市民に活用されているようです。

そのアリーナに、1964年開催の東京オリンピックで、銅メダルを獲得した円谷幸吉さんが使用した練習着が展示されています。

彼については、私と同年代の方は全員が知っていることと思います。

1940年5月生まれで、27歳で亡くなっているんです。

今、彼の地では一人の独裁者の屁理屈のおかげで、不本意な死を余儀なくされている人たちがいます。 こんな不幸なことはありません。 まったく腹が立つ!

2022年6月10日金曜日

梅雨の合間の久慈古墳群






 常陸太田市へ梵天山古墳の遺物を拝見しにお邪魔してみると、ほとんど整理が終了していました。 ご苦労様でした。

それから、緑に覆われている梵天山古墳と順調に稲が育っている星神社古墳にご挨拶。

この地はいつでも平和です。