2010年5月30日日曜日

今日の

みどりが濃くなってきました。今日の星神社古墳と、
虎塚。ひさしぶりです。「ひたちなか市の古代鉄生産ー後谷津製鉄遺跡ー」
7月4日まで開催です。

すずしい

すずしい、と言うよりは寒い朝でした。虫の活動も鈍るだろうと思い、某所の丘陵に突入。


2010年5月23日日曜日

人面付土器のことなど

1月31日に常陸大宮で行われたシンポジウム、「再葬墓と人面付土器のふしぎ」のなかでも取り上げられたことがらなのですが、この泉坂下遺跡から出土した「いずみ」の「口」について考えてみたいと思います。これについて私に啓示を与えてくれたのが、ある著作の中に引用されていた白川静さんの文章でした。書き出してみます。「文字が作られた契機のうち、最も重要なことは、ことばのもつ呪的な機能を、そこに定着し永久化することであった」。これを参考にすれば、「いずみ」の口は、ある重要な意味をもつ、そして、当時の人々にはこの「口」のカタチを見れば誰でも理解できる、「ことば」、「歌」、あるいは「叫び」、などを土器に定着したのではないかと考えたのです。
これらのことは、考古学的証明は困難なことですが、縄文時代の土偶の「口」の表現からも、なにかを語りかけているように思えるのです。
4月末に撮影した泉坂下です。今ごろは、早苗が風にゆらいでいることでしょう。

土器、瑪瑙片がありました。
今日の教え、「文字資料が欠如する時代の歴史については、その時代の人々が遺した物的証拠を資料とする考古学が威力を発揮する。従来、精神世界は「物いわぬモノ」を資料とする考古学にとっては苦手分野であるといわれてきた。たしかにそうではあるが、かと言って考古資料がまったく人々の精神性を語らないかというとそうではない。モノそのものの造形やそれらが置かれた位置関係などが人間の意識を十分示すことはよくあることで、それらが考古学の対象にならないわけがない。」古屋紀之さん。

2010年5月16日日曜日

常陸国の誇り


成田の帰りに寄ってみました。宮本さんが現役のころのテレビ中継は見ていたんですが、最近はとんと。すみません。でも、郷土のほまれです。

2010年5月15日土曜日

送別

明日、LTが帰国するので、Jも加わってくれて送別会。
向こうには居酒屋なるものがないらしく、たのしんでもらえたかな。

今日のあれこれと








今日のあれこれと、星神社古墳。


2010年5月9日日曜日

夕食

夕食は、LTとミーさんの合作で、ハンガリー料理のグヤーシュ。
ごちそうさん。

苧環と


我が家の手入れをしない苧環と、黄色。

宮中野古墳群




鉾田市まで来たついでに、鹿嶋市宮中野古墳群の夫婦塚古墳ヘ再訪。
ここは、ボランテイアの方が手入れをされていて、気持ちよく観察することができます。
小片を拾いましたが、私には丁寧なつくりなように見えました。


訂正

2008年12月31日に掲載した大峰山古墳の写真は間違いでした。この日は、ミーさんが帰国するということで、成田に行くついでに大急ぎでここぞという所を登ってみるとマウンドがあり、間違いなしと思ってしまいました。


最近、ネットで見ていると間違いと分かり、今日、あらためて行ってみました。
現地に行ってみると、ちょうど地主の方がいらして古墳まで案内していただきました。
前方後円墳?1基、円墳2基の3基は確認しました。でも、間違いだったあのマウンドは、ただの土饅頭だったのかな、今日も再見してみましたが、古墳にもみえるよな。


2010年5月5日水曜日

ひまつぶし

LTがひまをもてあそんでいるようなので、笠間の陶炎祭に行こうということになったが、私と生活の時計が4~5時間ずれているので、出発は11時30分すぎになってしまいました。


混雑を覚悟していたが、以外にも道路も駐車場もすいていました。


行き帰り、星神社古墳の近くを通るので、LTに古墳を指差し、MY HObby,MY Idolなどとカタカナ英語を発すると、そりゃーけげんな顔をしますよね。




2010年5月4日火曜日

今日のあれこれ




弥生の銅鐸に描かれた白鷺。田に水がはられると何処ともなく現れる。これは共生といえるんでしょうね。でも、写真を撮ろうと近付くと逃げてしまう。私の邪心がみえみえなんでしょうね。


継承


今日の星神社古墳。三世代とおぼしき方々が田植えを行っていらっしゃいました。
ご高齢の方に、稲作における収支や農業の機械化による問題点など、もろもろお話をお伺いいたしました。

2010年5月3日月曜日

家族


昨日は、ミーさんとは別々の便で一緒に来日した?LTとそれにJも参加して我が家でウェルカムパーティ。
今日は義姉達も加わって、花園山へハイキングとバーベキュー。
Jは急用で不参加になってしまい残念。ご苦労さんです。
私はサラリーマンの家庭に生まれ、今私もサラリーマンです。娘たちが幼いころ漠然と娘たちの未来像を思い描いたりしました。それはあくまで、私の世界の中でのイメージだっと思います。
今現在、そんな私の世界から飛び越えた所で生きていこうとしている娘たち、いや、生きている。
そんな娘たちを見守るなんておこがましい、私たちも日々刺激を受けて、勉強です。

2010年5月2日日曜日

今日のあれこれ





急遽群馬へということになって、準備もなしにとりあえず太田市へ。











群馬の古墳

群馬県太田市内ヶ島女体「女体山古墳 帆立貝形古墳 全長102m
造り出し状の前方部。


既に論及されているように、両古墳の埴輪片をみくらべるとにているように思います。

群馬の古墳

群馬県太田市内ヶ島町「大田天神山古墳」 前方後円墳 全長210m
御存知、東国最大の古墳。





古墳観察でなにが一番嫌かというと、虫でも蛇でもなく盗掘痕を見せ付けられることです。


古代東国の王者

以前読んだ熊倉浩靖さんの著作の題名。上毛野へ向かう前に、星神社古墳にご挨拶。

2010年5月1日土曜日

成田へ


ミーさんはトロント経由、LTはニューヨク経由で到着。
北ウイングではこんな方がいらっしゃました。たくましい。