2014年8月23日土曜日

今日の常陸太田


星神社古墳周辺の田んぼの稲穂が大分色付いてきました。元瑞龍小学校敷地で方墳群(方形周溝墓群)が検出され、本日その説明会が行われました。

2014年8月17日日曜日

久慈郡自治記念誌

図書館で、大正15年に発刊された「久慈郡自治記念誌」と言う本をを見つけた。この本の郡戸村の項の中には「鯨鯢岡は大字の稍中央にある古跡にして、一名遠山ともいふ。これ遠山氏の館を構へんとて、土をならせしに因るべしといひ傅ふ」とある。古墳のことに関しての記述は無いが、遺跡地図に東山古墳群とあるのは、遠山が正解なのかもしれない。もっとも東山古墳群の存在も不明瞭なのだが。そして、「大字新地は往時下新地と共に那珂郡岩瀬村の一部なりしが、久慈川川流の変化により分離して久慈郡に属し、上新地と称し、天保年間新地村となりし」とある。江戸末期に久慈川が流路を変え、いや、太古の昔から流路を変えながら今に至っているわけだ。さらに、記念誌のなかに茨城県久慈郡長の「尾戸次作」、大字小島 村会議員「鴨志田慶次郎」などの名前があり、これらは、郡戸小学校近くにある「古墳碑」の裏に刻書されている、発起人に名を連ねる方々でもありました。

十王台

その時がきたら連絡しますと言う言葉を待てないせっかちな私は、連絡を待たずに下見に行ってきました。

2014年8月6日水曜日

千福寺にある石碑

佐藤政則さんの文章の中にある、桜山古墳から「東方80m程に石碑が建立しているが、碑文を読むと、この碑の所に組み合わせ石槨があったと記されている。」との石碑を先週から探していたのですが、古墳に限定された石碑ではなく、地元の五来家の「墓域銘」という大きな石碑の文章の中にあったのです。この石碑で間違いないと思いますが、この周辺は先週お世話になったひたちなかの「ひたちなか市の考古学第5回横穴墓の世界」のなかで生田目和利さんがまとめられた「茨城の横穴墓」にも概略が記されていて参考になります。ちなみに生田目さんは装飾古墳、横穴墓のトップクラスの研究者です。

2014年8月2日土曜日

しばらくぶりの星神社古墳

稲穂も大きくなっていました。月日が経つのは早い。