2017年7月27日木曜日

佐波波地祇神社について

日立市の図書館は私の書庫でもあるのですが、そこに「磯原町大塚西明寺物語」-山口炭礦炭住街のあたりー 平成四年 千田 正哲編著の著作があった。おもに北茨城市にあった炭礦の歴史著述だが、新編常陸国誌、多賀郡史、松岡地理史なども参考に民俗学的な記述もある。その中に、「茨城の伝説」を参考にした 佐波波地祇神社(大津町)に関するの記述があった。「神武天皇のころ、大津町の先祖は関本に住んでいたが、大津の山岳には先住民の土久母がいて、地域の人々を苦しめていた。これを聞いた天皇は天日方奇日方命を遣わして、土久母を平定させた。その時村の人々は、命と五人の武将を関本の唐蒔山の中腹の畝踏峠に祀って佐波権現を創建した。そのうち陸地が広がり、漁業ができなくなると人々は大津に移り、唐蒔山に神社を祀ったという。これが今の佐波波地祇神社である。この神社では毎年五月十日に祭礼が行われる。この「お舟まつり」は、洗い清めた漁船に、神主、お囃し、歌子衆を乗せ、四百人以上の若衆が、揃いの浴衣を着、片腕ぬぎ、大津入江から西町まで三日をかけて曳き大漁を祈るのだという。」 他にも北茨城地域の方言なども記述されていて、私にとっては懐かしくもたのしい著作なのだった。

2017年7月9日日曜日

日立市の主要古墳概観 4



日立市石名坂町にある「西ノ妻古墳」。全長約55mの前方後円墳。典型的な後期前方後円墳の形をしていて、今でも埴輪が採集できる。主軸は東西で前方部を当時の内湾に向け、日立市で唯一完形に近い前方後円墳となっている。

日立市の主要古墳概観 3



日立市久慈町にある「舟戸山古墳」。過去には50m級の円墳とか前方部があって90m級の前方後円墳ではとの指摘もあったが、そんな古墳ながら、過去に採取された靭形埴輪を取り上げて、この古墳の築造年代が示されたのは大きな前進だと思う。この古墳がある地点へ行ってあたりを見渡せば、あたりの風景から感じられるものがこの古墳の意味をも表しているようにみえる。

日立市の主要古墳概観 2




日立市久慈町千福寺内にある「桜山古墳」。40mほどの円墳となっているが、裾が削り取られているので、一回り大きくなる円墳となる可能性があるが、これらについては、片平雅俊氏が茨城県考古学協会誌第29号に発表した「久慈川周辺の古墳を考えたいー舟戸山古墳と桜山古墳とー」の意欲的な研究ノートに詳しい。なお、千福寺境内には五来家由来の石碑があり、一部古墳に関する記述を見ることが出来る。

日立市の主要古墳概観 1




日立市水木町にある「水木古墳群」。国道245号線の東西に7基あるとされる古墳群。上段、2段目画像は国道東側にある円墳2基。以下は前方後円墳の1号墳。1号墳は国道工事のため後円部の一部が削られているとなっているが、藪のをのぞいてみるとほとんどが消滅しているように見える。これらの古墳群も含めた付近の古墳群ついては、佐藤 正則氏の「久慈川下流左岸の古墳群形成」1983 日立市郷土博物館紀要第3号が詳しい。

2017年7月6日木曜日

鋳銭座稲荷神社




常陸太田市山下町にある「鋳銭座稲荷神社」。以前は水郡線常陸太田駅近くにあったらしく、今はこの集会所隣に鎮座している。

2017年7月2日日曜日

ご無沙汰の北茨城市 矢指塚古墳群




北茨城市小野矢指にあり、6号国道の東西に展開する古墳群。過去には前方後円墳3基、円墳8基からなる古墳群となっていたが、現状は数を減じているようだ。コンビニの北西の藪の中に古墳群の一部があるが、だいぶ改変されている。砂丘上に築かれているこれらの古墳群、そこから北に向かって「天王塚古墳群」、「南塚古墳群」と海岸線に沿って南北軸縦列に、前方後円墳を含む古墳群が展開しているが、それらの内容意味に興味がある。資料を集めていると語っていた早川氏の文章公表に期待したい。

関本町 大塚神社







北茨城市関本町富士が丘にある「大塚神社」。かつては「夫婦塚古墳」、「大塚古墳」とも呼ばれた地点。確かに側面形は古墳のようにも見えるが、否定されている。

ひさしぶりの北茨城市





北茨城市華川町にある式内社「佐波々地祇神社」。別名「佐波神社」「佐波大明神」とも。なぜ、海岸線から奥まったこの地にこの神社があるのか気になるところです。