2012年12月30日日曜日

時がしめすもの


画像は、わが町の郷土博物館にて2013年2月24日まで展示されている昭和30年代、40年代の市内を写した写真です。そのなかで、私にとってなつかしい写真があったので撮影させていただきました。上の画像は昭和35年、下のは昭和41年撮影となっています。小学校2年生までこの地域に住んでいて、通学にはこの6号国道の横断歩道を渡って通学していたのでした。(今はまたこの地区に舞い戻ってきて住んでおります。)小学校に上がる前だったと思いますが、時折馬車や大八車がこの6号国道を通り、たまに馬の落し物もありました。それからおよそ50年、当時の人々の誰が今を予想したでしょうか。手塚治虫さんぐらいでしょうか?。さて、50年後の列島は。最近書名にひかれて読んだ本があります。「10万年の未来地球史(Deep Future)」 カート・ステージャ著日経BP社。考古学関連の内容だと思ったら、炭酸ガス由来の地球温暖化問題に関する内容でした。筆者は、生態学者、古気象学者、サイエンスライターで数万年前の地球の歴史から見える未来や、13万年の後の地球人の暮らしぶりを心配したり、自身の日常から出てくる思索。声高に自説を唱えるのではなく、淡々と今までの地球の歴史にはない人類が出してきた炭酸ガスの影響が及ぼすであろう事象を記していく。原子力発電反対と叫んで済むほど単純ではない、人間のエゴが問題をより複雑にしていく、また一律な動的活動ではなかった人類だからこそ今がある。複合的、相対的である今を、未来を語っている彼は良識ある科学者だと思う。良書です。

2012年12月23日日曜日

善光寺横穴群の上



松栄町にある香仙寺裏の丘陵は以前調査しました。藪の深いところはパスしましたが。今日は寺の近くにある善光寺横穴群の真上に登ってみました。強行に藪をかきわけ登ってみると、頂部には小道が通り巡ることができるようになっていました。古墳はありませんでした。

曇り空の


寒々しい空のせいか、モノトーンの世界に近づいてきました。墳丘の木立の一部が伐採されたようです。

2012年12月10日月曜日

各々の場所


昨夕、Laciは東京に戻り、ミーさんは夜遅くのパリ経由の便でハンガリーへ戻った。ショー君は就職は決まっているが配属先はまだ。ナーは卒業できるんだろうな?。Laciにはあと二週間の東京暮らしを有意義にすごしてほしい。論文をまとめるのも大変だろうが、研究者として生きていくつもりなのだから少々のことでめげないで、ハンガリーに帰ったら二人でガンバレ。

2012年12月9日日曜日

たのしい時間

7日の夕方、成田で合流したLaciとミーさんが帰宅した。香港での試験は合格だった。6日はミーさんの誕生日だった。それらもろもろをふくめたお祝いを昨夕我が家で挙行した。ショー君も駆けつけてくれ、たのしいひと時となった。一番酔っ払っていたのが私のようで、オヤジギャグを連発したらしい。ゴメン。将来のファミリーはこのようになっていくのだろうか。


2012年12月4日火曜日

マル

そのまんまマル。私達の学習しないムスコちゃちゃ丸。

帰国・香港

30日に一時帰国したミーさん。今日、義姉とともに香港へ。ちょっぴりの観光と資格試験の旅。ハンガリーへ戻っても試験、試験が続くんだそうです。

2012年12月2日日曜日

寒い朝だった




霜柱を踏みつけたり薄氷がはっていた所もありました。今日は水曜日のための準備のつもりの活動で、旧金砂郷村役場跡地近くの地点に有るお宅に行ってみました。古墳の気配は無いようでした。私と同年輩の奥さんの話からすると現在幼稚園のある地点が一番の候補地かもしれません。その後、先週気になった大里と天神林の境にある地点の藪に突入しました。円形の先端部からの稜線が前方部のラインに見えて一瞬巨大前方後円墳ではと思ってしまいました。下段の画像は篠竹の藪から転げ落ちるように離脱した地点。