2025年6月24日火曜日

検討会




常陸太田市教育委員会の一室にて、県内外の研究者13名が参集され、梵天山古墳・星神社古墳出土の埴輪検討会が行われました。

私は、担当者のY氏からお誘いを受け、参加させていただきました。

冒頭、Y氏の挨拶から始まり、あの某K氏の推・想定復元だとする星神社古墳の埴輪への推論があり、それから、各研究者の方々の観察発言が飛び交い、素人の私にとっても刺激的なひと時でした。       ありがとうございました。

そして、漏れ伝わり聞いたことですが、近い将来日立市において、歴史好きな方が驚くような発表があるようです。  期待していいと思います。 
 

2025年6月22日日曜日

総会・研究発表会


昨日、県立歴史館にて、茨城県考古学協会の総会及び研究発表会が行われました。

常陸太田市教育委員会のY氏から、梵天山古墳と星神社古墳についての発表がありました。 発掘調査から3か月ほどしかたっていないので、中間報告的な内容でしたが、さりげなく、両古墳の築造時期についても語っていました。 まあ、動くでしょうね。ご苦労様でした。


そして、休憩時間にミュージアムショップを覗いていたら、佐竹マーク付きの坂東太郎のTシャツがあり、常陸太田へ出入りしている者として、これは必要だと思い衝動買いしてしまいました。うぅ~ん!これが今日の最大の収穫だったかなと思っていたら、この後、某K氏から、刺激的な資料をいただいてしまいました。  やっぱり星神社古墳の埴輪はスパイシーなんだな!  ありがとうございました❣

それから、常陸太田市の前期古墳として、梵天山、星神社の両古墳に注目が集まっていますが、中野冨士山古墳も発掘調査が行われていて、それなりの資料があるはずです。 
ただ、手抜きなのか、へたくそだったのか、土器類の焼きが甘いため細片が多く、なかなか評価しづらい部分があると思いますが、お忘れなく注目していただきたいと願います。
 

2025年6月16日月曜日

野口雨情記念館 2



 常設の展示も拝見すると、古代から現在までの海を介在しての暮らしから、一時期、山の恵みの石炭が経済を活性化させた状況が見て取れます。

今の北茨城市の人口は、38,600人ほどだそうどで、将来がどうなるんだろうと考えさせられます。  今後増えるらしい外国からの移住者に、全国にあるこのような地方自治体が、乗っ取られないようにしていただきたいと願っています。


2025年6月15日日曜日

野口雨情記念館 1

鈴木文字が出迎えてくれた、野口雨情記念館。 歴史民俗資料館でもあるんですね。





企画展、「発掘された北茨城といわき 古代多珂郡と菊多郡 磐城郡」を見学してきました。

所謂、いわきと北茨城とのコラボ展示ですね。 パネル展示で塩田川流域にある古墳なども取り上げられていて、地名でいえば「小野矢指」と「大津」は、個人的には注目地点だと思っています。
 

2025年6月10日火曜日

目撃 ほっこり会話


                JR常陸太田駅前の交差点。  

          脇から出てきた、バイシクルライダーのお父さん。

          ハーレーライダーのお兄さんに。 かっこいいね!

          あざっす!

          俺も昔は乗っていたんだよ。

         お父さんのヘルメットとサングラスと、ママチャリもかっこいいよ。

         ありがとうね。 気を付けてぶっ飛ばしていきナ!

         ウイッス! ジャーね!!


             そんな会話だったんだろうか?

2025年6月9日月曜日

緑の中の古墳


常陸太田市小島町の集落方面から見た「梵天山古墳」です。 が墳丘は直接見えません。

宝金剛院の入り口階段は、まだ工事中なんですね。さぞ、立派なものになるんでしょう。
 

2025年6月8日日曜日

田植えと古墳




 そろそろ梅雨入りなんでしょうか。 
 
最近、田植えが終わったばかりなように見える「星神社古墳」です。

田植え機の出入り口もありました。

トレンチの「跡」も薄れつつあります。

2025年6月4日水曜日

冨の文字


 大洗町のT氏が、フェイスブックで「中野冨士山古墳」のことについて言及してくれています。 私も当事者の一人だったので、このことについて一言述べたいと思います。

常陸太田市中野町にある「中野冨士山古墳」の命名については、地元の方のご協力で、法務局へ出向いて地籍図などを確認していただいたりして、最終的には、古い地名に「冨士山」の文字が使われているということで冨士山を、「あの方」が採用しました。 さらに、あちこちに富士が付く古墳名があるので、町名の「中野」をつけて、中野冨士山古墳となりました。

余談ですが、お隣の常陸大宮市にある「五所皇神社裏古墳」と「五所皇神社古墳」と、名前が迷走しているようですが、これは、茨城考古学の重鎮であるT先生が五所皇神社裏古墳と命名されたと聞いています。 それでいいんじゃネ!と思いますが。

そしてもう一度確認します、富ではなくです!

 


2025年6月3日火曜日

思い出


 2008年5月に訪れた、群馬県榛東村にある「耳飾り館」。

だいぶ記憶が薄れていますし、当時はあまり写真を撮らなかったので、これだけの画像です。 耳飾りは、敷地内ににあったシンボルのオブジェです。

この耳飾り館は、縄文晩期ごろの茅野遺跡から出土した耳飾りを中心として展示されているそうで、バイクで道に迷いながらたどり着きました。
その時は気が付かなかったのですが、帰り道、なだらかに、ずーっと下り坂で榛名山の裾に、皆さんが暮らしているんだなと気が付きました。

茨城県に居住していては、火山の裾野に暮らす生活は体験できないでしょう。 それが、印象に残りました。