2016年10月31日月曜日

もうひとつの近津神社?

大子町にある近津神社をGoogleマップで探してみると、4か所表示されました。そのうちの芦野倉地区にある近津神社を上宮だと思って訪ねてみると、それらしいものがなく、位置が表示された立派なお宅にお邪魔し、出てきたご婦人にお話を伺うと、ここは自宅で、神社は国道118号線の近くにありますとのご返事。どうやら下野宮にある近津神社の宮司さんのご自宅だったのだ。私以外にもナビを頼りに訪れる人がいるらしい。さてこの、「大子町芦野倉で近津神社と表示される地点は神社ではありません。」お間違いなされませんように。

2016年10月30日日曜日

大子町 下野宮 近津神社





大子町下野宮1626にある「近津神社」。久慈川とその支流、県道28号沿いに並んであるこの三社。往時の流通あるいは八溝山とのつながりなのか、「近津」の意味も気になるところです。

大子町 町付 近津神社







大子町町付1218にある「近津神社」。なぜか「稲村神社」との石碑がある。上野宮にあるのを「上宮」この地点のを「中宮」、下野宮にあるのを「下宮」と呼んでいるらしい。

大子町 上野宮 近津神社








大子町上野宮1626にある「近津神社」。福島県と栃木県との境を成す八溝山の裾野にある。

2016年10月27日木曜日

福島県棚倉町 八槻都々古別神社






福島県棚倉町大字八槻字大宮224に所在する「八槻都々古別神社」。久慈川上流域にある神社。

福島県棚倉町 馬場都々古別神社









福島県棚倉町大字棚倉字馬場39に所在する「馬場都々古別神社」。 陸奥一宮。久慈川上流域にある。本殿裏には馬場古墳があるとなっている。

2016年10月20日木曜日

三昧塚古墳とその時代


茨城県立歴史館で開催されている特別展「三昧塚古墳とその時代」を見てきた。以前図書館に所蔵されている調査報告書を読んだり、復元された墳丘も見ているが、出土遺物を間近にすると感慨深いものがあった。冠もそうだが特に馬具と短甲と冑に注目した。図録も広域な視点からの解説があり参考になる。

2016年10月19日水曜日

大子町の古墳 2



大子町上岡字入定塚1126他にある「上岡古墳群」。旧上岡小学校近くにある。

大子町の古墳 1



大子町字仲山187にある「仲山古墳群」。茨城県久慈川流域最上流にある古墳群となる。
幅のせまい馬の背状の地形にあるが、このありかたを見ると、私の常陸太田市における古墳分布調査は、見落としたものがあるのかもしれない。

2016年10月16日日曜日

常陸太田市 集中曝涼




毎年恒例になっている常陸太田市指定文化財集中曝涼。今年は協賛ということで中野冨士山古墳も参加することになった。地元の方々、茨城大学院生、学部生達の協力のもと来場者への説明を担当させていただいた。大久保市長はじめバックアップしていただいている茅根議員、茨城大学の先生2名、城郭研究者、将来の考古学者になるであろう地元郡戸小学校の生徒など、多彩な年齢層の方々80名以上が来場してくださった。ありがたいことです。

2016年10月5日水曜日

常陸佐竹市



常陸太田市梅津会館が常陸佐竹市役所になっているらしいと聞き駆けつけると、井上ひさしが建国した吉里吉里国とまではいかないまでも、市の紋章が出来上がっておりました。私も早速賛同して市の証を購入し、そして各町で発行している散策マップもいただいてきた。

常陸太田市増井町 正宗寺






佐竹氏に縁があり常陸太田市増井町所在する正宗寺にお邪魔した。ここには水戸黄門さんの助さんのモデルとなっている佐々宗淳の墓もあります。