2021年2月18日木曜日
2021年2月16日火曜日
2021年2月13日土曜日
2021年2月10日水曜日
2021年2月7日日曜日
大甕神社とその周辺
さて、以下は私的意見と妄想の世界です。 日立方面から東海村方面へ、バイクか自転車で走行したことがある人は気が付いているはずですが、石名坂を下っていくと気温の違いに気が付きます。日立とくらべて、東海村、常陸太田市は夏暑く冬寒いのです。石名坂付近は福島県棚倉町まで続く棚倉断層が伸びているそうで、それを境に北と南では違う地層になっており、それが自然環境にも影響していることが想像されます。現実に大甕神社の本殿も5億年前のカンブリア紀の岩盤の上に立っているとなっています。 また、国道の山側や風神山の中腹にある企業の研究所付近を眺めてみれば、あちこちで岩盤が露出しています。
低地に河岸段丘、自然堤防などで構成されている東海村の河口部や常陸太田市の久慈川中流域から石名坂を上ってくると,海岸線からすぐに山が迫ってくる台地がずっと続いていく、所謂、異郷とも思える境界にあるのが、大甕神社であり風神山の峰なのではないでしょうか。 大袈裟いに言えば結界に在する関所的存在がゆえに、神社の由緒につながっていくのでは。 そう想定すると、やはり風神山は神名備の山と言えるのかもしれませんね。
2021年2月4日木曜日
風神山は神奈備山?
常陸太田市の 島町、小島町、中野町にある前期とされる3基の古墳の主軸はそれぞれ異なっていて、この統一の無さは何故なのか気になっているところです。 私が頻繁に訪れる星神社古墳の主軸、北東方向には常陸太田市と日立市との市境に「風神山」(2段目画像アンテナ地点)があります。私には、この古墳の後円部が風神山を仰いでいるように見えて仕方ありません。登ってみることにしました。 登ると言っても車でも登れてしまいます。
頂上付近はテレビなどの巨大アンテナ立っていて、公園にもなっています。 山と言うより稜線と言ったほうが正解だと思いますが、頂上付近からの眺望は木々が邪魔をしてあまりよくありません。(下段画像)
この山に、御岩神社がある御岩山のような神奈備山の痕跡があるのではと、淡い期待がありましたがこの状況では無理です。 古墳時代に神奈備山との宗教的概念が有ったのか。出雲国風土記には「神名火山」、「神名樋山」などと記述されているらしいですが、それ以前の時代のことはなかなか検証が困難なのかもしれません。
ところで、星神社古墳の主軸を多少アバウトではありますが、北東方向に、地図上で伸ばしていくと、風神山と真弓神社との中間付近を通るんですね。う~む。この仮説も妄想で終わりになるわけです。
登録:
投稿 (Atom)