C国コロナの影響があったため、娘夫婦が約5年ぶりに一時帰国しました。
カナダ産のウィスキーをお土産に。 ありがとう。
この状況を見てみると、歴史深い青蓮寺・久米堰・滝名子橋と、三者があたかもリンクしているようにも見えてきますが。どうなんでしょう。
追記
山田川右岸のこの辺りの地名は旧水府村東連地で、青蓮寺から北へ600mほどの所に嵯峨神社があります。 道路からこの神社への入り口にある畑で、縄文土器が拾える岡遺跡があります。 常陸大宮市にある泉坂下遺跡の状況を参考にすると、縄文と弥生の再葬墓とがなかよしに見えて、この山田川の右岸にも再葬墓の遺跡があるかもしれないと、妄想してしまいます。 そして、画像はありませんが、対岸の山田川左岸は芦間町となっています。 以前、地元の方に話を伺ったことがありますが、ここには昔、遊郭があって賑わっていたそうです。 その他イガレンジャー氏からの情報で、古墳の可能性があるマウンドを1基確認しています。
風化はしているけれど、歴史を内在している石造物たち。 物静かにみえるけど、微量なオーラを発射し続けているようにも見える。
この橋の付近から、上流方面と下流方面とを眺めてみれば、山田川左岸の整備された水田地帯を見ることが出来ます。 常陸太田で収穫されたお米を私も食べさせていただいていますが、ありがたいことです。
常陸国風土記には、郡の北2里のところに山田の里がある、となっていて、この付近がそうだろうとなっているようです。
さて、治水地形分類図を参考にすると、それらのことが窺がえるんでしょうか。
その後、蕎麦を食べようと、それなりに有名どころの蕎麦店を3店巡りましたけど、駐車場はいっぱいで並んでいるし。 パスしてうどんを食べて帰ってきました。
この付近が、大方町と高柿町との境目となっています。 この地点から北西方向を見てみると、画像4段目、住居がある地点から左側にかけて、横穴墓が点在しています。
ソバの花が満開で、いい香り?がしていました。
そして、上流へ少し進むと沈下橋がありました。これは、私にとっては新発見です。
この地点から西側に行くと堀江家書院があります。(画像4段目) ここから上流へ、大方台地に沿って上流へ伸びる堤防の細い道は藪に覆われています。(画像5段目) そこに、ところどころ凝灰岩質の斜面が見えてていて、横穴墓のような穴も見えていますが、私は、この地点の調査は行っていませんでした。 茨城県遺跡地図にも遺跡としての認識は無いようです。