2021年3月31日水曜日

ニューシューズ



 30代中頃から運動不足解消のため走り始めて、途中 仕事がらみの影響で中断したこともありましたが、今も走っております。

上段の派手なオレンジ色の靴は、アシックスのLYTERACER(ライトレーサー)と言う靴で、日立市で開催される「さくらロードレース」のハーフマラソンの部に出るために2年前に購入したものです。

下段のは「EVoRide」エボライドと言う、ナイキの圧底シューズの影響を受けて開発された靴で、最近購入しました。 上段の靴とくらべてみれば,底のカーブと踵のパッドや甲部のパッドの違いが分かると思います。

上段のライトレーサーは、私が昔から愛用していたアシックスの「TARTHER」ターサーと言うシリーズの廉価的なシューズで、履きなれた違和感のない靴です。

さて、このエボライドを3回ほど履いてみましたが、クッション性良し、足の回転はやりやすいが筋力が必要。 所謂、スロージョギングには向かない。筋力が付いてくればフォアフットストライク(つま先着地)的な走りがやりやすいと解釈しましたが、はたして使いこなせるのか? 最後に、これらのシューズの色について、センスの無さに気が付くと思いますが、2足とも型遅れのバーゲン品です。色の選択に限りがあり、3割から5割引きで購入したものです。

2021年3月24日水曜日

日立市水木町 道路改良工事



 玉澤稲荷神社前の細い道路を南西方向に進んで行くと、国道245号線の道路改良工事と言う、所謂護岸工事でしょうか、それが見えてきます。 この地点は、急に低くなっていて、古代には谷だったのではと思いますが、地質的にも脆弱なのかもしれません。

日立市水木町 玉澤稲荷神社






 日立市水木町にある、でんがくばら児童公園の南西端にある「玉澤稲荷神社」。田楽鼻という岬の付け根にあり、しかも甕の原古墳群が付近にあるという、意味深な立地なのでしょうか。この地は、水木異国船遠見番所跡でもあります。

日立市水木町 津神社





日立市水木町の海岸線近くにある「津神社」。 津と名がつく神社は見てみたくなります。

手作りのような質素な社殿で、すぐにそこは海岸線です。付近の道端には祠があり、注目すべきは、水木古墳群のそばにあるということです。
 

2021年3月20日土曜日

報告書

千葉県在住の、おけ塚古墳でお世話になったS氏からの情報で、この報告書「茨城県石岡市佐自塚古墳の研究」が発刊されたことを知り さっそく注文して今日届きました。

いや、1963年の調査が2021年に世に出るとは。 佐々木教授ありがとうございました。
 

2021年3月16日火曜日

終了しました



少々間が空きましたが、本日の午前で作業が終了しました。古墳の周辺でも意味あるものが見られて、少しはお利口になったような気分でいます。そして、世間の喧騒をよそに、桜が咲き始めました。 うん、植物は偉い!
 

2021年3月13日土曜日

歴史を見てきた久慈古墳群




測量も終了したようで、だいぶ見通しが良くなった星神社古墳。前方部も見えるようになっています。(2段目画像)そして、震災直前の2011年3月6日の星神社古墳。(下段画像)この後、11日の14時46分すぎには社殿が損壊していたわけです。

2~3日前のよみうりタウンニュースに、常陸太田市がオンライン集中曝涼をYouTubeに配信しているとあり、さっそく拝見してみました。古墳は、梵天山、中野冨士山、星神社古墳がアップされていて、茨城大学の学生さんによる分かりやすい解説付きです。ぜひご覧あれ。

2021年3月10日水曜日

地形・景観から見てみる 島町






 国土地理院のアナグリフ(カラー)を借用しています。

今回、常陸太田市島町にある古墳群の立地について、2004年に多久那研究会により刊行された「採集資料集 久慈川流域の前期・中期古墳」(以下資料集)を参考にさせていただいて、私的妄想を膨らませたいと思います。

資料集には、この島町の独立丘陵についての地理、歴史環境について詳述されています。そのなかの「これらの古墳は台地最東端に位置している11号墳塚越塚古墳を除き、台地西側に集中して分布している。」に続いて、台地の南北にある谷との位置関係についても着目しています。これで答えは出ているのですが、もう少し膨らませてみたいと思います。

画像上段のアナグリフを見ていただくと、画像上が北になっていて、小さい古墳は判別しにくいですが、梵天山古墳、巨大円墳の高山塚古墳との間にあるのが弥陀塚古墳です。梵天山古墳の南側にある谷の画像が2段目(下から)と3段目(中段)と、4段目が前方後円墳の瓢塚古墳があるお宅の入口です。これらと消滅してしまった円墳の9号墳とが、この谷に接する様に築かれているわけです。 さて、次は北側に移ります。高山塚古墳の西側に谷をはさんで富士山塚古墳があります。それだけではありません。谷と高山塚古墳と接する様に宝蔵塚古墳と4号墳があります。画像5段目は富士山塚古墳から見た谷で、下段画像は小島町から見た谷の入り口です。中央付近に小道があります。 以上を見ていただいて妄想の結語といきますか。

巨大古墳の梵天山古墳と高山塚古墳とは、全方位を意識した古墳ととらえて良いと思いますが、台地西側に片寄って古墳群が築かれている意味は、久慈川支流の山田川より浅川が重要だったのか、他の意味があったのか今後の調査のテーマにする必要があるように思います。
そして、南北の谷については、この島町の台地が当時は本当に「島」だったのか、「島」の様に見えただけだけだったのか、谷は何に利用されたのか。具体的には「船着き場」、「何らかの流通路」だったのかなどと思いつきますが、現状では断言できません。消化不良ですが今後の調査で見えてくるのを期待しています。 

2021年3月3日水曜日

ぞろ目の日の島町



今日は令和3年3月3日、ぞろ目の日。 何かいいことあったかな?。

昨日とは打って変わっての晴天だったが、風が吹いていて寒い一日だった、常陸太田市島町の高山塚古墳付近。 日当たりがいい地点の梅は満開。 さらに、花粉も満開。 終盤に入りました。
 

2021年3月1日月曜日

甕星守






昨年の個人的大厄と「中国発祥」のコロナウィルス克服とその他もろもろを祓っていただこうと、大甕神社が毎月一日のみ授与している「甕星守」をいただいてきた。 これは、大甕神社の伝承に、まつろわぬ悪神の甕星香々背男の魂を武葉槌命が霊力で宿魂石に封じ込めたとあり、このパワーあふれる宿魂石を内符した、夜の世界を支配する強い力で、悪運を祓い、開運を導く御守りだそうで、これで今年は心配ないでしょう。 そして、神社の南側では、日立と言う町の根幹をなしている企業の、仮称日立オリジンパークが建設中で、神社も含めてこの付近がますます注目されるようになるでしょう。