今日の星神社古墳。最近「常総の歴史 38号」を見つけました。その中の塩谷修さんの「前方後円墳の波及と埴輪祭祀」-常陸北部久慈川中流域の梵天山古墳群をめぐってーは興味深いです。現在の状況の中での論考としては出色だろうと思います。その中からちょっと抜粋させていただきます。P.80の「想定した二古墳の築造時期が正しければ、両古墳は、古墳時代前記前半から中葉の極めて短期間に築造されている。築造時期が接近すること、前方後円墳に表れた儀礼の系譜の錯綜した状況などから、星神社古墳と梵天山古墳は、継続する二代の首長墳と考えるより、同世代に造営された性格の異なる大小二基の前方後円墳と考えたほうが理解し易いようにおもわれる。」東国の古墳の中で、巫女の存在が語られることは少ないと思う。栃木の桑57号墳のような巫女的性格をもった古墳が東国にもあるということは、塩谷さんの説をとれば、梵天山古墳は派遣将軍、星神社古墳は祭祀をつかさどった巫女の墓とも考えられるのかなと?。私の妄想まで。
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