常陸太田市磯部町にあり長方墳の可能性がある「磯部古墳」。茨城県遺跡地図には古墳群となっているが私の調査ではこの一基しか確認できていない。過去にはひどい藪に覆われており、数年前に藪が伐採され重機が入って小道が造られたが、古墳の可能性がある地点の裾も削平されてしまった。この地点は、谷河原古墳群の盟主墳である入定塚古墳から道路をへだてた至近にあり、同じ古墳群ととらえた方が合理的だと思う。東側は水田が見渡せその先に里川が流れている。都都逸を確立したとされる扇歌の父親の墓の裏にある立地となっていて、墳頂部に立てば円墳ではなく楕円もしくは長方形に見える。私の略測で南北34m、東西25mほどで、頂部平坦面は広い。 2017年に少数の方にお配りした「私家版」では「円墳」と表記していましたが、それを「長方墳の可能性あり」と訂正させていただきたい。ここでは摩滅した弥生土器が拾え、常陸太田の方程式のように古墳と弥生土器の重層性がうかがえる。 ひとつの懸念は、天保14年(1843)に水戸藩により廃絶されるまでこの付近に宝寿院という寺があり、その施設の一部だった可能性も考慮する必要があるかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿