茨城県在住の元サラリーマンです。
今まで、複数の方達からこの古墳についての事柄をお聞きしてきました。
古墳で紡錘車を拾ったことがある。 須恵器を拾ったことがある。 戦後は藪がひどくて立ち入れない時期もあった。 このあたり一帯は松が植えられていた。 大日本帝国陸地測量部が明治38年に測図した地図に、古墳の後円部に鳥居マークがあるのはそれなりの規模の神社があった可能性がある。など、時代が異なる土器片が混在していることを含めて、これらがこの古墳の表情と歴史ですが、これから少しづつ内実が見えてくると思います。
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