史考15号では調査に至る経過として、 調査開始前に屋根(尾根?)中央部に円墳が、東西斜面に横穴墳があるものとの想定を下し調査を行った。屋根(尾根?)中央では丘陵の最高点と思われる所に円墳らしきもの二基を発見した(2段目画像青線)。これは二基共直径約五米封土は流れて相当低くなっており、高さ約一米でS一号墳の中央部に盗掘らしき凹みが見受けられた。 とあります。
上段画像は国土地理院の傾斜量図を拝借しています。 ちょっと不鮮明ですが、下のほうに見える前方後円墳が中野冨士山古墳です。赤丸で囲ったところに、整地されたようにみえる地点に円墳らしき影が見えています。ただ、2段目の史考15号にある略図とくらべると、地形が異なって見えます。多分南北が逆転して描いてしまったのかもしれません。
それはともかく、まず初めにこの円墳とされる地点を目指しましたが、傾斜量図にあった地点が分かりませんでした。 もう少し北側に行った地点に円形の高まりがありました。径約10mほど(下段画像)。これがたんなる土膨れなのか人工物なのかはわかりません。
中野冨士山古墳整備の時、80歳を超えた方達との会話で、戦争中に金砂郷町にある丘陵の高所地点に高射砲陣地が築かれたところもある、との情報を聞かされています。
さて、そんなことも参考にして、再度突入してきましょう。
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