画像は橿原考古学研究所からの画像を一部改変して拝借しています。
天理市中山町にある西殿塚古墳と東殿塚古墳と萱生町のその辺り。
茨城県の北部、常陸太田市にある古墳を除いて、私が一番好きな古墳は「西殿塚古墳」です。 と言うか、いや実際はこの古墳と周辺の古墳も含めた、西殿塚古墳群とも言うべき地点が好きだということかもしれません。
と書き出していると、同じ奈良にある富雄丸山古墳のニュースが飛び込んできました。以前から継続して発掘調査が行われていて、今回、盾形銅鏡、蛇行剣、湧水施設形埴輪などが出土しているとのことです。 まあ、驚きました。
今回のニュースを受信して以下は素人の私の感想ですが、この古墳を見てみると前方後円墳を頂点とする序列が、前期から後期まで不変的に行使されていたのか。 関東には築造時期が不明なものも含めて、大型円墳が多数存在するのは単にローカルで従属的な地域だったからなのでしょうか。 そして、造り出しの意味。 帆立貝形古墳と円墳の造り出しとの違いを従来の視点で解釈していて問題は無いのか。 など、ゴメンナサイ、素人の繰り言です。
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