2013年10月30日水曜日
2013年10月27日日曜日
2013年10月19日土曜日
中野冨士山古墳と神事
台風の後、高所にある中野冨士山古墳への影響を確認しに伺うと、鴨志田清さんご夫婦にお会いし、今から星神社古墳で神事が執り行われると教えていただいた。古墳を一巡りしてから星神社へ伺うと、社殿へ招き入れてくださり神事に参加させていただいた。神事の後、望外な古墳に関わる情報をお聞きした。皆様ありがとうございました。
2013年10月7日月曜日
2013年10月5日土曜日
星神社古墳と鯨ににた丘
暇なんでしょうね、毎日のように通っています。季節ごとの微妙に変化する色を見たいということもありますが、この付近の当時の状況をより鮮明にしたいという思いが強くあります。一片は中野冨士山古墳、もう一片は星神社から南へ100mほどの地点。星神社古墳採集土器の胎土に似たこの一片について、機会があれば鈴木さんにお聞きしたいと思っています。
2013年10月4日金曜日
中野冨士山古墳の祠
中野冨士山古墳の後円部には天明四年銘が入った祠があり、世話人として三名の名前が刻まれています。天明三年におこった浅間山の噴火は知られていますが、同年、岩木山も噴火していたんですね。そして、天明三、五、六年と久慈川流域で洪水が頻発して、おまけに、アイスランドでも同時代に大噴火があり世界の気象に影響が出ていたという、二重苦三重苦の様な状態での生活は凄惨な状況だっのかもしれません。当時の政治状況も飢饉の要因だとの説もあるようですが、それはそれで、この地域の代表者としての三名の世話人の思いが詰まっている「これ」なのだと思います。
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