青葉考古学倶楽部
茨城県在住の元サラリーマンです。
2011年1月31日月曜日
奈良 巻野内石塚古墳
「巻野内石塚古墳」 桜井市巻野内 前方後円墳 全長約60m
この周辺には内容不明な古墳が30数基あるらしいのですが、私の準備不足で内容説明ができません。でもこの古墳は意味深い可能性があるかもしれません。
奈良 堂ノ後古墳
「堂ノ後古墳」 桜井市箸中 前方後円墳 約60m
ホケノ山古墳に先行して築かれたとの指摘もあったのですが、2009年の調査で須恵器が出てきて、残念ながら5世紀後半との評価がだされたようです。ホケノ山から視た堂ノ後です。
奈良 ホケノ山古墳
「ホケノ山古墳」 桜井市箸中 前方後円墳 全長約80m
纏向遺跡、箸墓古墳との3点セットで有名です。
2011年1月30日日曜日
奈良 箸墓古墳
「箸墓古墳」 桜井市箸中 前方後円墳 全長280m
御存知、モモソ姫の墓とのこと。冬には水が無いのですね。
奈良 渋谷向山古墳
「渋谷向山古墳」 天理市渋谷 前方後円墳 全長約300m
陪塚の上ノ山古墳は、この古墳より先に築かれたとの指摘もある。
奈良 櫛山古墳
「櫛山古墳」 天理市柳本町 双方中円墳 全長155m 主軸東西
行燈山古墳とセットで注目していた古墳です。が、足に疲れが出てきていてジックリ観察することなく次へ移動してしまい、後悔しています。
奈良 行燈山古墳
「行燈山古墳」 天理市柳本町行燈 前方後円墳 全長242m
御存知、御間城入彦の墓となっています。周辺にはアンドなどの陪塚が。
奈良 黒塚古墳
「黒塚古墳」 天理市柳本町黒塚 前方後円墳 全長130m
とても有名な古墳ですね。
奈良 矢矧塚古墳
「矢矧塚古墳」 天理市成願寺町矢羽ギ 全長105m主軸おおよそ東西
ここまで、中山大塚古墳、西ノ山古墳、栗塚古墳を視てきました。
奈良 フサギ塚古墳
「フサギ塚古墳」 天理市成願寺フサギ塚 前方後方墳 全長110m 主軸東西
この地域の前方後方墳は注目です。
奈良 下池山古墳
「下池山古墳」 天理市成願寺町下池山 前方後方墳 全長120m 主軸おおよそ南北
前方部から見た後方部です。
奈良 燈籠山古墳
「 燈籠山古墳」 天理市中山町燈籠山 前方後円墳 全長110m 主軸東西
前回のときはとても古墳には見えなくて、墓参りの方々に頭を下げながら通り過ぎました。
2011年1月26日水曜日
奈良 古墳への道
前回この道を自転車で巡ったとき、暑いだけでわき目も振らず通り過ぎただけという感じでした。
今回、頬をなでる冷たい風や、かおり?いや牛糞の匂い、ひかり、それと水などに気付きました。畦の間を流れる細流や細い側溝などが多数あり、これらは、龍王山から三輪山へつらなる峰々からの山水でしょう。当然盆地の底辺へそれらが集約されていくわけで、水量は季節によっても違うのでしょうが、古代においての水利のありようなど夢想しながら、この山の辺の道と古墳へとつながる道を巡ったのです。
2011年1月23日日曜日
奈良 火矢塚古墳と
「火矢塚古墳」 天理市中山町 前方後円墳 全長49m 主軸南北
この古墳の目の前で地元の方々がトンド焼き(関東ではドンド焼きといいますね)の準備をされていました。ここのシチュエーションがすごいです。あおぎ見ると西殿塚古墳、眼下にオオヤマトの盆地。
年配の方に古墳のことや、畑などで土器片など出ないかお聞きしたのですが、意外なことに他地域から移り住んだ方が多いそうで、残念ながら情報はなし。
奈良 東殿塚古墳
「東殿塚古墳」 天理市中山町 前方後円墳? 全長約139m 主軸南北
西山古墳に類似するとの指摘もあり、そのへんも観察しましたが、農道があったり畑が作られていたりで、改変されているのかオリジナルのままなのか判断できません。今回の奈良行では、この2基、西殿塚、東殿塚古墳を一番注視したいと思っていました。周囲を歩いたり、墳頂部に登ったりしてみて、私なりに感じたことがあります。それは、最後に「まとめ」として書いてみます。
東殿塚古墳から見た奈良盆地ですが、オオヤマトにある巨大古墳中ではこの両墳が一番高所にあります。それは、この2基を考えるうえでの一つのヒントになるのではないでしょうか。
奈良 西殿塚古墳
「西殿塚古墳」 天理市中山町 前方後円墳 全長219m 主軸南北
私は、天理市教育委員会からでている報告書第7集「西殿塚古墳・東殿塚古墳」を読んでいませんので、私の視覚的印象から報告します。ご覧のように生垣で周囲全体を囲っていて立ち入れないようになっており、さらに立ち木が茂っているため墳丘をうかがい知ることは困難ですが、じっくりとはいかないまでも、前回の時より良く視てきましたよ。
奈良 西山塚古墳
「西山塚古墳」 天理市萱生町西山 前方後円墳 全長114m 前方部北向
円墳のクラ塚古墳を見学してから、風情のある細い道をたどってきました。
今日の
今日の、星神社古墳。ヤマトで前期でも古いと思われる古墳を視てくると、特に高みに築かれているわけでもなく、そのような築造思想がこの星神社古墳にも取り入れられているのではなどと妄想しながら帰ってきたのです。近くに舌状にのびた丘陵があるのに。
案内板が新調されたようです。
2011年1月21日金曜日
奈良 マバカ古墳
「マバカ古墳」 天理市成願寺町 前方後円墳 全長約74m 主軸東西
ここに着くころには空が明るくなってきて、寒さは常陸国と同じくらいでしょうか。
予備知識が無ければ古墳に見えない古墳です。県道建設によってくびれ部を斜めに分断されています。左側が後円部、刀根早生柿発祥の地の碑が立っている所が前方部です。この古墳の西側に埋没古墳としてマバカ西古墳が検出され前方後方墳と推定されています。
奈良 2日目
2日目の1月9日。前日の疲れが少し残っていたので長柄駅まで電車で行こうと思ったのですが、始発に乗り遅れて結局予定通り全工程徒歩になりました。朝の5時30分すぎ宿を出て暗い国道169号線を成願寺町を目指してトボトボと。
2011年1月20日木曜日
奈良 夕のひかり
星塚古墳を後に、天理にとった安宿へ徒歩で(一泊3、800円)。海と山とに挟まれた狭小な土地に住んでいる私には、この奈良盆地の夕日はまた違ったおもむきです。この日は、昼過ぎに天理に着き、参考館から西山古墳へと巡りましたが、あらためて、遺跡は書籍で見るだけではなく実物を視るものだと思いました。
奈良 星塚古墳
「星塚古墳」 天理市新泉町星山 前方後方墳 全長約70m 主軸南北
大和神社脇にあります。分布図には載っていても語られることの少ない古墳です。測量は行われているようですが、明細不明。先ほど視てきたノムギ古墳は発掘調査され、この地域最古の前方後方墳と考えられており、馬口山古墳も特殊器台から箸墓に先行する古墳ではないかとの評価が出ています。さて、この星塚古墳の位置付けはどうなるんでしょうか。 この日は、ここまで。
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