2026年5月29日金曜日

水戸市 常盤共有墓地 2

桜田門ノ変の中心人物、関鉄之介の墓。


紆余曲折があり天命を全うした、海後磋磯之介の墓。 ドラマになりそうな人生ですね。  今の那珂市元米崎にある、三島神社の出であることは知られていますし、古墳もあります。




殉難志士ではありませんが、常盤共有墓地のとなりの佳岸寺の墓地にある、中山備前守墓。

ちょっと分かりにくい場所にあります。その理由は、入り口の解説板に書いてありました。

入り口の門の内側の梁には家紋が刻まれていました。

また余談ですが、常陸太田市小島町所在の鴨志田家御本家のご次男、鴨志田昌夫氏が遺した著書「古文書を聴く」の中に、殉難志士に関係する記事が載っています。 長くなりますが一部要約して、掲載させていただきます。

第五章 水戸藩の郷士と鴨志田又左衛門家

兵学・松田流新流指南であった鴨志田又左衛門直升は万延二年(1861)二月二十二日に七十四歳で亡くなっている。(注16 万延元号は二月十八日までで、二月十九日には文久に改元されている。したがって、万延二年二月二十二日は存在しない。改元直後のことでこうした誤りが生じたのであろう。)その後、総領であった水之介が家督を継ぎ、同時に名前も又左衛門直準と改めた。

直升が亡くなる万延二年二月前後には、水戸藩はまさに未曽有の激動の時代を迎える。前年三月には水戸浪士による井伊大老殺害の桜田門外の変が起こり、三年後には水戸藩を二分する内乱であった元治甲子の乱が勃発している。(注17)そうした激動の中、明治維新を迎える。こうした時代に郷士・又左衛門直準がどのように生きていったかは、残念ながら史料が不十分で明らかにできない。

(注17)ちなみに、直準の長男本介直列は、元治甲子の乱に参加した。そして、那珂湊で幕府側に降伏し、武蔵川越から江戸佃島へ移され、慶応二年八月二十六日に二十一歳(十九歳とも。「幕末維新全殉難者名簿 一」新人物往来社 四百二十七頁)で獄死している。

以上。 合掌
 

2026年5月27日水曜日

水戸市 常盤共有墓地 1


茨城県で生まれた人間として、一度はお参りしておかなければならない常盤共有墓地へ、本当に遅まきながらお邪魔させていただきました。この年になって今頃、情けない思いです。




「回天神社」。安政の大獄以降、桜田門外ノ変、天狗党の乱など、幕末の国事で殉難した志士1785柱を祀っているのだそうです。   お参りさせていただきました。


水戸市殉難志士の墓。374柱の墓石が、これだけ整然と並んでいるのを拝見するだけでも時代の変革期のエナジーの苛烈さを、見せつけられているように思いました。 礼拝合掌!


光圀さんの元で活躍した、水戸黄門のドラマで有名な、安積澹泊の墓。ドラマのイメージとは違って有能な方だったようです。郡山市にある安積国造神社とのつながりもあるのかもしれません。 十竹さんは後継ぎがなく断絶したようですが、格さんどうだったんでしょう。




右の墓石が藤田幽谷と左が藤田東湖の墓です。 斬首されてしまった小四郎の墓は少し離れたところにありました。
余談ですが、十数年前、ある歴史家の講演を聞く機会がありました。その中で、茨城から総理大臣が出ていないのはなぜなんだろうという発言がありました。 幕末に、優秀な人たちがことごとく亡くなってしまったのが原因ではとの意見が出ましたが、 あながち的外れな意見ではないなと思って聞いていました。
 

2026年5月25日月曜日

水戸市 馬塚古墳




水戸市愛宕町にある馬塚古墳。 常盤共有墓地方面から歩いていくと、愛宕神社の鳥居があるんですね。 そのまま台地縁辺部を歩いていくと、馬塚古墳があり、愛宕山古墳は、ここから北西方向150m先にあります。

茨城大学人文社会科学部考古学研究報告 第12冊によると、愛宕山古墳群は前方後円墳2基と円墳5基からなる古墳群だったとあり、この古墳は、径14mの移転、復原の古墳だそうです。  まあ、久慈川流域と同じで、那珂川右岸の台地縁辺部にはもっと多数の遺跡や古墳群があったのでしょうね。
 

2026年5月24日日曜日

水戸市 愛宕山古墳と愛宕神社







水戸市愛宕町にある「愛宕山古墳」と「愛宕神社」。 しばらくぶりの再訪です。

この古墳と神社がある那珂川右岸の台地縁辺部には、他にも佐竹時代からの神社や江戸幕末期の墓地などもあり、それらを巡ってきました。

愛宕山古墳については、2018年に茨城大学が実施した測量調査の成果が発表されています。

茨城の中期の前方後円墳としては、舟塚古墳やひたちなかの川子塚古墳とともに重要な古墳ですよね。 それとともに、中期の大型円墳群についても注目していきたいです。
 

2026年5月21日木曜日

円墳をお忘れなく


梵天山古墳の至近にありながらあまり注目されていない大型円墳の高山塚古墳。      だんだんと緑に覆われていってます。 奈良市にある巨大円墳の富雄丸山古墳の発掘調査で、すごい異物が連続で出土していますが、円墳への解釈が変わっていくのでしょうか。






 これまた近くにあっても注目されない阿弥陀塚古墳。 墳頂部には、大阿闍梨の文字と裏面には享保十七年の年号が刻まれた暮石がありました。 ここにも歴史があります。

2026年5月20日水曜日

まだだった星神社古墳





星神社古墳の鳥居側にある、田んぼの田植えは終わっているものと思って来てみれば、まだでした。                                      水も入っていませんが、田んぼには白い小さな粒々がまかれています。 肥料なのでしょうか。

周辺の田んぼの田植えは、ほとんど終わっていました。 この季節の植物群は、生き生きと成長が早く、さらにだんだんと緑が濃くなって生気が充実していく様を見るのは、年寄りにはうれしい限りです。
 

2026年5月18日月曜日

笠間市 於伊都岐神社







吉備津神社から西方へ1kmほど行った、笠間市にある「於伊都岐神社(おいつきじんじゃ)」。
由緒碑などもなく、創建や祭神についての手掛かりがないので「新全国神社検索」のサイトと、「AI」に聞いてみました。
〇嘉永元年(1848)五月に全焼その際、旧棟札等焼失した。とあり創建は不明。
〇広島の厳島神社の古名が「伊都岐島神社」とあり、「伊都岐」と「於伊都岐」とが同系名で観念も継承しているのでは。
〇祭神は「市杵島姫命」・「稲倉魂命」・「誉田別命」となっている。

さて、この神社と吉備津神社と、どのような謂れがあるのでしょうか。