2026年6月21日日曜日

考古学協会総会



昨日は毎年恒例の、茨城県考古学協会の総会及び研究発表会に出席してきました。

今年の協会誌は川崎純徳先生追悼号で、先生の思い出とともに多彩な方たちの論考が載っています。 その他、「婆良岐考古」、「常陸大宮市資料叢書4 考古1」、そして、待っていました!「常陸国久慈郡・那賀郡域の古墳研究」なども手に入れてきました。
 

2026年6月19日金曜日

ハンガリーのおもいで あれこれ

ハンガリーのブダペシュトのブダ側の丘の上の方にある「日本大使館」です。娘が用事があるということだったので、興味本位でついて行ってきました。メトロに乗ってトラムに乗り換えて、またバスに乗り換えて、結構急な坂を上っていくとありましたが、もしも、私だけだったら、タクシーでいかない限りたどり着けないでしょうね。 緊急の時には不便な立地です。


旧市街のKálvin ter(カールヴィン広場)にあった古本屋さん。こんな店はブダペシュトでもここだけだと思います。車輪がついていますが移動しませんし、雨降りの時は営業しません。


借りていた部屋にあった家電です。電子レンジはgorenje(ゴレニエ)という、スロベニアに本社があるメーカーだそうで、掃除機はZANUSSI(ザヌッシ)というイタリアのメーカーだそうです。以前来たときは、韓国や中国の家電もありましたけど日本はありませんでした。

MGのEVです。車に興味のある方は、MGと言えばイギリスのスポーツカーのメーカーだったということはご存じだと思いますが、今は、このブランドを中国の上海汽車が買取り、このグループ傘下になっているそうです。町中では大きな看板などで大々的に宣伝しておりました。
余談ですが、スウェーデンの車メーカーのボルボは、中国企業の浙江吉利控股集団が筆頭株主となっており(約8割)、実質中国のメーカーとなっています。 
これからも、ヨーロッパのブランドは買われていくでしょうね。
 

2026年6月15日月曜日

ハンガリーのおもいで AQUINCUM






ローマ時代の遺跡がある地点にAQUINCUM MUSEUM(アクインクム博物館)はあります。    管内外にはローマ時代の石棺が展示されています。 それらの側面に刻まれている文字に向かってスマホを向けると、それなりに翻訳してくれます。 正確に翻訳しているかどうかは分かりませんが、4世紀ごろの文字が読めるのはある意味凄いことなんだろうと思いました。


その他にも、文字資料が展示されています。
 

2026年6月9日火曜日

ハンガリーの思い出 Vasverő a Bródy utcában


10年ほど前、ハンガリー在住の方のブログを拝見してその存在を知った、ハンガリー国立博物館の横の通りにある鍛冶工房「Vasverő」。旧市街にある鍛冶工房はハンガリーでも珍しく、雑誌やテレビなどにも紹介されています。その職人のKulcsár Bencét(クルチャール・ベンツェ)は前任者から受け継いで3代目だそうで、今回、見学できたらいいなと思って訪れてみると閉まっていました。彼のフェイスブックが2023年10月より更新されていないので、どうなんだろうと思いながら来たのですが、休んでいるのか廃業したのか心配です。



上の画像は、彼のフェイスブックから拝借しています。 工房の内部と彼の制作風景です。
 

2026年6月5日金曜日

水戸市八幡町 水戸八幡宮








水戸市八幡町にある「水戸八幡宮」。 祭神は当然「誉田別尊」です。
由緒によれば、佐竹が水戸に入城した後、文禄元年(1592)に常陸太田市馬場にある馬場八幡宮よりこの地に勧進されたとあります。その後、光圀の時代には紆余曲折があったということのようですが、もとは三の丸の近くにあったのでしょうか。 立派な神社です!

 

2026年5月30日土曜日

いい天気の星神社古墳


雲ひとつ無いいい天気の「星神社古墳」。  田植えは終わっていました。  今は大型機械で植えるので、轍も目立つ田んぼ風景ですね。 周辺を見渡すとすがすがしくいい気分。


回天神社に「水戸勤皇殉難志士名簿」があったので手に入れました。 374柱の墓標を端から見ていくと、ありました「鴨志田本介直列」の墓標。

星神社古墳のくびれ部にある鴨志田家の墓域には、本介直列の父である直準の墓標があります。

夫人とともに名前が刻まれているので、天寿を全うしたのだと思いたいです。
 

2026年5月29日金曜日

水戸市 常盤共有墓地 2

桜田門ノ変の中心人物、関鉄之介の墓。


紆余曲折があり天命を全うした、海後磋磯之介の墓。 ドラマになりそうな人生ですね。  今の那珂市元米崎にある、三島神社の出であることは知られていますし、古墳もあります。




殉難志士ではありませんが、常盤共有墓地のとなりの佳岸寺の墓地にある、中山備前守墓。

ちょっと分かりにくい場所にあります。その理由は、入り口の解説板に書いてありました。

入り口の門の内側の梁には家紋が刻まれていました。

また余談ですが、常陸太田市小島町所在の鴨志田家御本家のご次男、鴨志田昌夫氏が遺した著書「古文書を聴く」の中に、殉難志士に関係する記事が載っています。 長くなりますが一部要約して、掲載させていただきます。

第五章 水戸藩の郷士と鴨志田又左衛門家

兵学・松田流新流指南であった鴨志田又左衛門直升は万延二年(1861)二月二十二日に七十四歳で亡くなっている。(注16 万延元号は二月十八日までで、二月十九日には文久に改元されている。したがって、万延二年二月二十二日は存在しない。改元直後のことでこうした誤りが生じたのであろう。)その後、総領であった水之介が家督を継ぎ、同時に名前も又左衛門直準と改めた。

直升が亡くなる万延二年二月前後には、水戸藩はまさに未曽有の激動の時代を迎える。前年三月には水戸浪士による井伊大老殺害の桜田門外の変が起こり、三年後には水戸藩を二分する内乱であった元治甲子の乱が勃発している。(注17)そうした激動の中、明治維新を迎える。こうした時代に郷士・又左衛門直準がどのように生きていったかは、残念ながら史料が不十分で明らかにできない。

(注17)ちなみに、直準の長男本介直列は、元治甲子の乱に参加した。そして、那珂湊で幕府側に降伏し、武蔵川越から江戸佃島へ移され、慶応二年八月二十六日に二十一歳(十九歳とも。「幕末維新全殉難者名簿 一」新人物往来社 四百二十七頁)で獄死している。

以上。 合掌