久しぶりに、宮内庁書陵部のホームページを拝見すると、紀要 第77号の陵墓篇の中の、誉田御廟山古墳についての内容に注目しました。
青葉考古学倶楽部
茨城県在住の元サラリーマンです。
2026年10月27日火曜日
書陵部紀要 第77号
久しぶりに、宮内庁書陵部のホームページを拝見すると、紀要 第77号の陵墓篇の中の、誉田御廟山古墳についての内容に注目しました。
それは、昭和10年に、前方部で埋葬施設が露出したというもので、これは、だれでも閲覧できますので、詳細はご自分でご覧ください。
まあ、石棺の一部らしいものが有ったとか、埴輪が採集されていてこれも注目ですね。
それと、その地点が土壇部だということでこれも注目です。
私も、15年ほど前に某古墳で土壇を実見したことがありましたが、スペシャルメイドな古墳だからこそ、土壇が有るのではと妄想したことを覚えています
2026年10月20日火曜日
変化があった舟戸山古墳
中野冨士山古墳での集中曝涼の会場にて、茨城大学のT教授から久慈町にある舟戸山古墳で、変化があったらしいよとの情報を頂き、訪れてみました。
地主さんの許可を得て作業されたのだと思いますが、盛り土の断面の一部がきれいに整えられていました。
この古墳は、茨城大学が測量調査を行い、その報告書にこの古墳が「方墳」であるとの報告がなされ、私もびっくりしたのですが、これからますます注目さていくことでしょう。
将来的には、さらなる調査をお願いしたいです。
2026年10月18日日曜日
集中曝涼 星神社古墳
いつもは人影が見られない古墳に、沢山の人が来てくれているのは、何か、不思議な心持でしたが、稲刈りがまだだった、集中曝僚の星神社古墳です。
地元の方々と、学生さんとのコラボで見学に来られた方たちを案内されていました。
そして、発掘調査にご一緒したO氏に1年半ぶりに再会しました。 うれしいね!
集中曝涼 中野冨士山古墳
2026年10月13日火曜日
帰途
島根県益田にある萩・石見空港を飛び立って、益田の町を見下ろしながら旋回して、一路羽田に向けてと思っていたら、富士山の頭が見える地点あたりから、着陸態勢に入りますとのアナウンスが流れ、高度を下げていくと羽田は雲のなかだった。
今回、飛行機とバスを利用しての団体旅行だったので、それなりの制約がありました。
それでも、有名観光地は、まあ 楽しむことができました。 一番印象的だったのは、高速道路を利用してのバス移動時に見た、中国山地の奥深さです。 関東に住んでいてはとても味わえないような、深遠で深緑の山々の在り方に感じ入り、これは、古代から居住者の深層心理に染み込んできたのではないのかなと妄想してきました。
2026年10月11日日曜日
2026年10月10日土曜日
厳島神社の近くにある豊国神社
厳島神社の大鳥居手前の小道を少し入って、石段を上がったところにある「豊国神社」。 別名、千畳閣。
これについて私には知識がないので、入場券に記載されている内容を書いてみます。
豊国神社(千畳閣)について
この建物は、豊臣秀吉公が戦没将士を慰霊する為、天正15年(1587)
安国寺恵瓊に命じて建立した大経堂です。
その広さから俗に千畳閣と呼ばれて親しまれています。
明治元年(1868)に閣内の仏像を大願寺に移し、明治5年(1872)
秀吉公を祀り。豊国神社となりました。
重要文化財に指定されています。
建設途中で秀吉が亡くなったので、未完の状態だということのようです。厳島神社を見下ろす立地に建てたということは、私は秀吉の野心を感じますが、どうでしょうか。
登録:
投稿 (Atom)