今日は銚子へ。鹿嶋から神栖へ進んでいくと、途中、軽野小学校の文字が見えてきた。そして常陸国風土記、香島郡の条 「軽野以東、大海濱邊、流着大船。長一十五丈、濶一丈餘、朽推埋砂、今猶遺之。」なる部分を思い出していた。古墳時代は香島を越して銚子沖を西方へ向かって、当時の船で航行できたのだろうかなどと考えながらの今日のドライブだった。
2014年9月14日日曜日
2014年9月13日土曜日
中野冨士山古墳と中野の丘陵
中野冨士山古墳への登り口は、中野の丘陵南端を通る主要地方道路61号線沿いからが分かりやすいし、階段が設けられているため利用しやすい。この丘陵は南東から北西に約700mほどのびる丘陵だが、中野冨士山古墳がのる南側と北側は一体ではなく、徒歩道路で分断されている。これは、地図にも示されているが、地元の方に聞いたところでは、以前は主要道路61号線は無く、この徒歩道路が昔から使われている道路で、浅川の所まで伸びていたとのこと。この道路の現在の出入り口は、一方は民家の裏庭、一方は空き家になっている民家の脇からと少々分かりにくい。この道路、古墳時代から続く、いや弥生時代から続く道路なのかもしれない?。その道路から中野冨士山古墳へのアプローチにも階段ができました。
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