副堰橋から上流へおよそ400mほどに、名も無い橋が架かっています。
この付近は常陸太田市松栄町、高低差が無く流れがよどんでいます。
下流側を見てみると、道場塚古墳の茂みが見えています(2段目画像)。 そこから道路をはさんで鹿島神社があり、神社を南端に馬の背状に丘陵が伸びていて(3段目画像)、頂部には、太田一校生徒の調査ではマウンドが11基ほどあるとなっていますが、塚か古墳かは不明です。
この付近は常陸太田市松栄町、高低差が無く流れがよどんでいます。
下流側を見てみると、道場塚古墳の茂みが見えています(2段目画像)。 そこから道路をはさんで鹿島神社があり、神社を南端に馬の背状に丘陵が伸びていて(3段目画像)、頂部には、太田一校生徒の調査ではマウンドが11基ほどあるとなっていますが、塚か古墳かは不明です。
東側に、中野冨士山古墳がある中野町の丘陵が間近に見えます。 その、浅川に向いた斜面に横穴墓群が築造されています。 これらについては、昭和33年に太田一校の生徒たちが調査をして、31基の横穴墓群の存在を明らかにしています。 私達はそれらの一部しか確認していません。
下段画像は、郡戸橋から上流方向を見たものです。 かすかに郡戸小学校が見えています。
常陸太田市の前期古墳、横穴墓などの重要な遺跡群は久慈川支流の浅川、山田川流域にあります。
それらを、浅川のほとりから眺めてみたら面白いのではないかと思い、まずは久慈川との合流地点から。
上段画像は、浅川の堤防から見た久慈川との合流地点付近ですが、植物が繁茂していて合流地点が見えません。 河川の流路は古代と今とでは違っている可能性は大ですが、まあ、古代の流路を探る能力もないので、今現在の浅川からの眺めです。
3段目画像は、梵天山古墳がある島町の丘陵。4段目画像は、中野冨士山古墳がある中野町の丘陵です。
それから、緑に覆われている梵天山古墳と順調に稲が育っている星神社古墳にご挨拶。
この地はいつでも平和です。