画像はスタンフォード大学が公開している、明治から昭和にかけて作成された地図を拝借しています。
これからの文章については、続 常陸の古墳群、各市町村史、茨城県遺跡地図、佐藤政則氏、高根信和氏等の文章等を参考にさせていただきますが、これは論文ではなくあくまで素人の雑文ですので、いちいち出所を明示いたしませんのでご理解いただきたい。
地図には、東海村の久慈川沿いにある古墳と対岸の日立市の一部の古墳をそれぞれ点で示してみました。
古い地図を使うのに意味があるのかは何とも言えませんが、久慈川に限らず全国の河川が何らかの改修工事をされているのだろうと思いますけれども、久慈川は江戸時代に辰ノ口堰を造った永田茂衛門が有名ですが、私が20代の頃には河口部の改修工事が行われて現在のようになっています。まあ、その違いが分かるだけでも古い地図を使う意味があるのかもしれません。
東海村の古墳群については丁度良いタイミングで「続 常陸の古墳群」が刊行され、林 恵子氏により「東海村域の古墳群」に丁寧にまとめられているので、そちらを参照していただければと思います。
今回久慈川沿いの古墳群にこだわってということで、東海村の盟主的古墳である権現山古墳と真崎5号墳とを取り上げていませんが、別に忘れているわけではありません。
地図では、河口部から白方古墳群、調査消滅した愛宕山古墳、座応権現山古墳、別当山古墳、中道前古墳群、石神外宿古墳群とを黄緑の点で示してみました。各古墳の築造時期は愛宕山古墳と別当山古墳が5世紀ごろ、あとは大体6世紀代の古墳となっているようです。 例外はあれども河口部に前期古墳は無いというところでしょうか。
目を移して、対岸の日立市の古墳を見てみると、赤点は舟戸山古墳と桜山古墳とを示しています。
こちらも、「続 常陸の古墳群」に生田目 和利氏による「日立市域の古墳群と横穴墓群」にこれまた丁寧にまとめられています。(生田目氏に感謝!)
この両古墳については、片平 雅俊氏が茨城県考古学教会誌第29号の「久慈浜周辺の古墳を考えたい」で詳述されており、それぞれの築造時期は船戸山古墳が5世紀代、桜山古墳が5世紀初頭となっています。
そして最近、佐藤 政則氏が過去に携わった調査資料、写真等をまとめた報告書を自費出版され、そこに、青色の点で示した「上の台古墳」出土の坩形土器の写真があり、小さな円墳ですが前期になる可能性があるのかなと思っていますが、さて?
以下次回