2016年12月31日土曜日
2016年12月26日月曜日
2016年12月20日火曜日
2016年12月19日月曜日
北茨城市 華川町中妻 八幡神社
北茨城市華川町中妻にある八幡神社。神社を主眼として訪れているわけではなく、あくまで古墳を調査するのが目的です。しかし、誰もいない神社は非日常の癒しの世界なのかもしれません。
神社の背後にあたる丘陵ピーク地点を目指しましたが、篠竹が密生しており無理をしないで引き返しました。
2016年12月18日日曜日
特異地点・妄想・妄言 2
私が特異地点とする「モノ」の主軸の延長線と、那珂市鹿島1460番地にある鹿島神社地点とが一致するとの妄想を公表したが、この付近には他にも鹿島静神社が鹿島神社の南東部とおはぐろ塚古墳の北側とに2社ある。さて、この鹿島地区と鹿島神社の由来はいかがなものかと、那珂町史と那珂郡郷土史(復刻版)を紐解いてみると、「鹿島は初め中岡村磯崎村の二村なりしが天保十三年合併して鹿島村となる」。「鹿島神社 所在地木崎村大字鹿島字小松原鎮座、社格村社 祭神武甕槌命、神體御幣、 中略 創立年不詳大昔八幡神社を廃し鹿島神社に改変すと古老の伝説なり」との文言に行き当たった。この鹿島神社の立地が八幡神社としてもともとこの地にあったのか、現状を見てみると、久慈川をのぞむのではなく南側の切れ込んでいる谷津を見下ろす立地になっている。これを見ても久慈川の対岸を意識しているようには見えない。これで私の妄想の大部分は吹き飛んでしまったが、妄想ベクトルの向きを変えてもう少し続けてみる。 この地は常陸国風土記によると久慈郡の一部となっており、当時は河川が必ずしも郡境とはなっていないことを知らしめてくれる。この鹿島地区は木前郷(木崎郷)の範囲で今日残っている地名には門部、北酒出、南酒出などがあるが、古墳の集中地帯でもある。それも久慈川を意識しているように見える古墳が多い。東西と北側を遮断し、南側だけを開放してそこに何らかのエネルギーを対岸に集中させているようにも見える、常陸太田市松栄町にある私が勝手に特異地点とする内容不明の遺構らしき地点。さて、関係やいかに。 いびつな妄想になってしまったがお許しあれ。
2016年12月16日金曜日
特異地点・妄想・妄言 1
常陸太田市松栄町、香仙寺西側にあるこの特異地点。2012年12月に私が発見した地点だが、発見当初から比べると熊笹の繁殖範囲が広がり観察が困難になりつつある。(4段目画像。12月12日撮影)以前の観察時に行った略測での平面形は、約50m×約24mの長方形のなかに円墳2基が縦列に並んでいるように見える。側面形は底辺約50m、上辺約30m、高さ約7m程の台形状の上に円墳が2基並んでいるように見える。主軸は南北から東へ数度ふれる感じ。北側の円墳らしき所にウサギが開けるたとみられる穴があり石材が見える。(以前より穴が大きくなり、良く見えるようになっていた。)この地点の東西方向は小山になっており、北側は香仙寺から善光寺横穴群方向へ丘陵が伸び眺望は開けない。南は、下段画像のように木々がさえぎって見晴らしは悪いが、地図を参考にすると、その主軸は久慈川とその支流浅川、玉川の各合流地点の間をつらぬき、那珂台地の鹿島地区、鹿島神社地点と特異地点の主軸がほぼ一致する。この発想は、先日鹿島神宮で開催された研究会の影響が多分にあるが、私が特異地点とする「モノ」と那珂市の鹿島地区との関係性についてもう少し妄想してみる。
2016年12月12日月曜日
2016年12月8日木曜日
常陸太田市小目町 鷹房神社付近
今春、中野冨士山古墳の試掘調査をお手伝いしたとき、見学に来た城郭研究者の50storm氏と知り合いになった。最近になって彼のブログの存在に気付き拝見すると、小目町にある鷹房神社の東側附近に古墳が3基あるとの記事があり、さっそくお邪魔してきた。遺跡地図によれば、この地点は貝塚と城館跡があるとなっているが、古墳があるとはなっていない。新発見となるのだろう。古墳は小円墳3基で、古墳のようにも見える地点がもう一か所あった。立地は北に世矢小学校が、北東には塚原古墳群が見える。
2016年12月6日火曜日
常陸太田市 中染要害
常陸太田市旧水府村中染にある「中染要害」。曾目城の道路をはさんで北側に位置する。当初アンテナがそびえる地点に登ってしまい、再度チャレンジ。頂部にあるマウンドは余湖氏のホームページによれば、無縁仏に由来する塚とされている。木々の間からは見晴らしが良好。4つの山を上り下りすると結構な運動量になった。
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