2024年4月12日金曜日

日立市 下諏訪神社





日立市諏訪町の県道37号線沿いにある「下諏訪神社」。 祭神は建御名方命となっています。

由緒などによると、建長2年(1250)長野の諏訪大社から勧請されたそうで、2km先にある「諏訪の水穴」及び光圀との伝承や関係性など、なかなか歴史深い神社です。




神社名として、二宮となっているんですね。 そして、鮎川の対岸にある上諏訪神社の祭神は若御毛沼命の奥さんになっていて、これなど不思議な感じがします。
 

2024年4月10日水曜日

日立市 上諏訪神社





日立市西成沢町にある「上諏訪神社」。 祭神は鎖踏鞴五十鈴姫命となっています。

分かりにくい立地の神社で、鮎川の対岸にある下社の方が認知されています。


日立市で一番古いとされている、神社の石段を築いた時の記念碑です。 道路沿いの土手の中段にありました。

         「元禄拾六癸未歳 上之諏訪石壇 五月吉日」
 

2024年4月7日日曜日

もうひとつの春のいろ





 仰ぎ見る桜と視線を下げると見える菜の花が、今の時期うれしい。

常陸太田への行き来に通る大和田町の茂宮川沿い、元の日立電鉄線、チン電の跡地にあざやかな黄色があった。

そして、川沿いを通る旧街道のT字路には道標が。 確か、このあたりの旧地名は大橋村だったか。 水戸藩の郷士で、光圀と仲良しだった大内家の在所がこのあたりだったと思う。

後背の高台には、城郭跡と古墳らしきマウンドがあるはず。

2024年4月4日木曜日

中野冨士山古墳の桜

中野の丘陵手前にあるしだれ桜。 毎年見事な花を見せてくれます。



中野冨士山古墳の上り口にあるしだれ桜は、ほぼ満開でした。





今年こそはと思ってやってきましたが、ちょっと早かったみたい。
この桜は、2015年3月の小雨降る寒い中を、地元の方達と植樹したものです。
月日が過ぎるのは、早いです!
 

2024年3月31日日曜日

大方鹿島神社古墳の隣の古墳


大方鹿島神社古墳の隣にある円墳の西側には墓地があります。そして、墓地へ通ずる道と階段があり、石碑が出迎えてくれます。 右側の茂みが古墳です。

国土地理院の陰影起伏図を使用しています。矢印が大方鹿島神社古墳です。 国土地理院の計測機能を使って大きさを計ると、直径約50m、西側の円墳は約30m。 これを参考にすると、大方鹿島神社古墳は大型円墳の首長墓の可能性があるのではと思います。(素人判断です)

この古墳と道場塚古墳との前後関係と、隣にある30mほどの円墳との関係性も気になるところです。 そしてこの大方地区は、その他注目すべき地点が多数内包されている台地でもあるのではないでしょうか。
 

2024年3月28日木曜日

大方鹿島神社と古墳


道場塚古墳から北方へ約2.8km先、常陸太田市大方町にある鹿島神社。 その敷地に「大方鹿島神社古墳」があります。 いえ、古墳の一部を削って神社が建てられています。
茨城県古墳総覧には、この古墳についての記録がありません。この時点においては、認知されていなかったんですね。

大型円墳で横穴石室、埴輪ありの後期古墳だと思います。 本殿後の石組みの中に、石室の一部が残っているそうです。


この古墳の西側にも、これより小さい円墳があります。
 

2024年3月27日水曜日

道場塚古墳までを考える



しばらくぶりに、常陸太田市松栄町にある「道場塚古墳」を訪れてみましたが、竹藪になっていました。 この古墳については、昭和34年9月に発刊された 茨城県古墳総覧(茨城県教育庁社会教育課)に久慈郡として、星神社古墳を筆頭にこの古墳も含めて8基の古墳が記録されています。

通番号725 市町村番号5 道場塚 久慈郡金砂郷村松栄字道場塚 前方後円墳、長68m、後円径38m、高7.5m、前方巾高3.5m現在墳丘は破壊され、後円部一部分残存 と記録されています。


その他の記録としては、地主のKさんの証言と浅川を越えて南側に「古墳碑」があり,
これらについては以前に取り上げています。 ちなみに、2013年11月にこの古墳碑をブログに載せましたが、ひょっとして私が古墳碑再発見の当事者なのかもしれません。



 上の画像は、国土地理院の陰影起伏図を参考にしています。 以前にも取り上げていますが、前方後円形にも見える道場塚の地点を、このシステムの計測機能を使って全長を計ると90~100mほどになりますが、この数値をそのまま採用するわけにはいきません。 当然測量その他の調査が必要です。

さて、本題です。この道場塚古墳は前方後円墳で、浅川のほとりに築かれています。 横穴式石室で埴輪があるとなっていて、全長は68m以上はありそうな規模です。 私は、後期の中葉あたりに築造された首長墓なのではと思っています。(素人判断です悪しからず)

そして、ここから南東方向2kmほどの所に、梵天山古墳を筆頭に久慈古墳群が鎮座しています。 前期前方後円墳が3基、中期築造とされる円墳が2基、いずれも首長墓と言ってさしつかえないと思います。

問題は中期築造とされる円墳の、その後の道場塚古墳までの空白期間を埋める首長墓がどこにあるのか。  私も常陸太田市のあちこちを歩きましたが、それらしき古墳は見当たりません。 中期後半と後期初頭の古墳はどこにあるのか。 常陸太田市以外の久慈川流域も考慮しなければならないのかもしれません。

2024年3月21日木曜日

3月21日の星神社古墳





朝の地震から始まって、雪がちらつき、そして衝撃の一平さんでした。

星神社古墳は変わりがないと思ってしばらくぶりに訪れてみると、後円部東側の木が数本伐採されていました。     前方部にあるご先祖の墓域にも花が。
 

2024年3月11日月曜日

参考になれば


予定では今日が舟戸山古墳測量の最終日。 大型船が入港していたので、しばらく見物してしまった。



 以前、舟戸山古墳すそで採集していた土器と、かなり前に某古墳で採集していた埴輪を持参して、今後の研究の参考になればと思い見ていただいた。 


そして、今日は3.11の日。 被害にあった皆様に黙とう。

2024年3月5日火曜日

水戸市 谷田古墳群





 水戸市谷田町にある「谷田古墳群」。 これについては、昨年 お二人の方に概略を教えていただいた古墳群です。 元は前方後円墳2基。円墳5基の古墳群だっそうですが、今回、そのうちの2基のみの観察になります。

小円墳の南北から見た画像です 内容は不明。