2024年5月30日木曜日

道すがら



 体調の関係で以前のように走れなくなったので、団地内をウォーキングしています。

そのコースのなかに、黒々した土の畑が見える地点があり、前から気になっていたのですが、作業をしているご婦人がいらしたので、畑を見せてくださいとお願いしてみたら、案の定、摩滅していますが土器片がありました。

この地点は、標高115mほどで東向きの斜面で日当たり良し。 50年ほど前に、市の職員が沢山の土器を持って行ったということですが、日立市が発行している埋蔵文化財地図には載っていないようです。

2024年5月28日火曜日

いただきもの


 適当に仕舞いこんでいたいただきもの。 九州のものもありますが、やはり常陸国のものがいいです。 梵天山古墳はカッコイイ! 常陸太田市は常陸佐竹市に改名すると、観光の街として注目を浴びるかもしれません? 

2024年5月25日土曜日

埼玉県 伊奈町







 川越に着く頃には雨はほとんど上がっていましたが、伊奈町のバラ園に移動した頃には晴れ間広がり、暑くなってきました。 花は散りはじめていましたが、400種5000株のバラがあるそうで、美的センスに乏しい私でも、その美しさは理解できます。

皇族の方達にゆかりのあるバラもあり、ほのかに漂ってくる香りも心を穏やかにしてくれます。

2024年5月23日木曜日

埼玉県 川越 2





 埼玉なら氷川神社でしょうが、大宮ではなく「川越氷川神社」です。 祭神は素盞鳴尊、奇稲田姫命、脚摩乳命、手摩乳命、大己貴命となっていて、これだけいらっしゃるとなんでも叶う神社なのだろうと思います。

今回のバスの旅は、常磐道からつくばJCTを経て圏央道を進むルートでしたが、圏央道は高架造りになっていて遮音壁もなく、バスのシートも高い位置なので大変眺めがよかったです。

おかげで、関東平野が良く見渡せて、途中で、大河と言っていいのか分かりませんが、久慈川、那珂川、小貝川、鬼怒川、利根川と、関東の主だった主要河川を横断しているのだと気が付きました。 自分で運転していたり電車では、こんなにしみじみと眺めることはできないでしょう。 そして、埼玉からも筑波山が見えました。 筑波山は常陸国だけの神奈備ではなく、関東平野のシンボル・ランドマークなのだと認識しました。


2024年5月21日火曜日

埼玉県 川越 1



私も行ったことがないし行ってみたいというので、昨日、乗り合いの観光バスで、蔵造りの町並みで有名な川越まで行ってきました。 沢山の人のそぞろ歩きで、蔵のある数百メートル区間は渋滞状態でした。






駆け足の行程で数か所を見学しただけですが、同じ蔵でも、松本醤油さんの蔵には感銘を受けました。
創業は明和4年(1767)、醤油造りで使用している蔵は天保元年(1830)建造で、仕込み用の大きな樽もその当時のものだそうです。 そして、大豆、麦、塩と、この蔵に積みついている酵母菌で発酵させ、時間をかけて製造しているそうです。                  
そこまで言われれば、もちろん醤油を買ってきました。 屋号にも興味が沸きます。
 

2024年5月11日土曜日

切ない思いの星神社古墳



常陸太田市小島町にある星神社古墳の周辺は、田植えが終わった所とまだな所と、まだら模様。


農作業している方もちらほらと。

鳥居の目の前の田んぼは、先週と同じ状況。 10年ほど前まではご夫婦で作業されていましたが、ご主人がなくなり、先行きの不安を話されていましたが。
 

2024年5月9日木曜日

日立市 神峰神社の歴史



日立市宮田町にある「神峰神社」。  動物園も有る神峰公園入口にあり、日立で生まれ育った人なら、知らない人はいない神社です。 この神社、本殿と拝殿を一体化している珍しい造りで、そして、神峰山頂にあるのが「元宮」で、ここは神峰山頂の神を拝む遥拝所だったということは、大抵のひとは知っているはず。 しかし、ここからが私は知らなかったことなんです。

これは、前回も参考にさせていただいた 筒井 功氏の著書のコラムから借用した内容です。 神峰神社の元の元は、東町にあるループ橋近く、鶴首岬の浜の宮公園にあります。

画像左側が、神峰神社(浜宮)、右側が7年に一度の大祭礼で使用する立ち寄り所の、汐垢所(しおごりしょ)です。



さらに、この地点と宮田町の神峰神社と神峰山頂の元宮とは、一直線に並ぶんだそうです。そして、これで終わりではなく、ここはもともと、沖合に見える「虎磯」と呼ぶ岩礁の遙拝所だったということです。

神峰の神は、まず画像に見える岩礁の「虎磯」に上陸され、そのあと浜宮をへて、神峰山へ遷られたということだそうです。 そして、神峰山が海民にとっての「山あて」になっていたのではないかと推察していますが、それが正解だとすると、海浜型古墳じゃないですけど、海浜型神社とも言うべき大洗の大洗磯前神社と、ひたちなかの酒列磯前神社と、この神社と、北茨城の佐波波地祇󠄀神社とが、海民と共に古くからネットワークを構築していたのではないのかと、さらに、鹿島神宮までもと妄想してしまいました。
 

2024年5月7日火曜日

城里町 青山神社


城里町上青山にある式内社「青山神社」。 祭神は五十猛命。 県道61号線沿いにあり、笠間への行き帰りにはこの道路を利用するのですが、車のスピードを出しやすい場所でもあり、通りすぎてから、アァ~そうだったと気が付く神社でした。





一の鳥居から社殿まで300mほどある参道が、木々に包まれた静寂な空間で、そこに植物たちの呼気が充満しているような感覚になり、とても心地よい神社です。



由緒にもあるように、この付近には40基ほどの上青山古墳群があるとなっていて、参道の近くに、2基の円墳だと思いますが、破壊された古墳が見えています。

前回紹介した 筒井 功氏の著書にあったように、常陸太田市花房町にある「青木」と「横穴墓群」と、この地の「青山」と「古墳群」とが重なりあっているように見えます。 これをもって、「青」が「墓地・葬地を意味する言葉」だと断言するつもりはありませんが、これを頭の片隅に置いておいても、良いのではないのかなと思っています。


 そして参道の脇には、苔を敷きつめたふかふかの絨毯のような小道もありました。

2024年5月5日日曜日

ふたたび青木について




常陸太田市松栄町の香仙寺にある直牒洞を筆頭に、周辺に善光寺横穴墓群などがあることは知られていることです。


 

私的な調査と常陸太田市教育委員会との調査で、香仙寺の北側500mほど先にある、花房町青木地区の公民館の、西側から南側にかけての丘陵に多くの横穴墓や古墳の可能性があるマウンドがあることが分かりました。 これらが集中してあるこの地域の字名が青木で、地元の方達がこれを「アオキ」ではなく「オーキ」と呼称していることについて、以前妄想を開陳しました。 結論を言えば、奥津城(オクツキ)が変化して青木(オーキ)になったのではと単純に妄想したのですが、以下にそれを補完する書物がありました。 


民俗研究者 筒井 功著 ー「青の民俗学」地名と葬制 ー 河出書房新社 
                    2015年3月30日初版発行

沖縄の民俗学者 仲松 弥秀氏と谷川 健一氏の先行研究を参考にして、「青」が古い時代には墓地・葬地を指す言葉だった、ことを立証するために地名の分析を行ったという内容です。 東北から沖縄まで、青木、青柳、青山、青島、青野などの、地名を追いかけ、足で歩いて、見て、聞いて、調べてを解説している一書です。

とりわけ、茨城県については多くの調査がなされ、
○稲敷市阿波字青木      ○行方市四鹿字青木台    ○鉾田市梶山字青木
○水戸市国井町字青木下    ○石岡市青田        ○石岡市上青柳・下青柳
○鹿嶋市青塚         ○桜川市青木        ○桜川市青柳
○つくばみらい市青木     ○取手市青柳        ○行方市青沼
○常陸太田市花房町青木    ○ひたちなか市馬渡旧青塚村 ○鉾田市青柳
○鉾田市青山         ○水戸市青柳        ○阿見町青宿
○境町伏木青木        ○城里町上青山・下青山   ○城里町上入野字青木
○下妻市大木(古くは青木) などが取り上げられていて、ふう~んなるほど面白いと、私は思いました。 ただこの本、9年前に刊行されていて、あまり注目されていないような気がします。 
研究者の方達は、この手の本は敬遠するのかもしれませんが、興味を覚えた方は、どうぞご一読を!