2019年4月14日日曜日
常陸太田市 ばくち穴横穴群
先月、常陸太田市松栄町にある「二階穴(横穴)」の位置確認についてアドバイスを受けたKi氏との雑談の中で、旧金砂郷町の遺跡の基礎資料として「金砂郷村史」は今もって重要な資料だとの発言があったが、まったくその通りだと思う。S氏の功績は今も進行形で発揮されている。
それプラスとでも言うのか、昭和30年代に太田一校の生徒たちが調査した資料がある。その「史考 第15号」に中野町の丘陵西側斜面にある「ばくち穴横穴群」の調査があるが、昨年の遺跡分布調査でその一部を見た。この、中野町から北へ向かって松栄町、花房町へと断続的に続いていく丘陵斜面に築かれてかれている横穴墓群は、久慈川の支流、浅川に沿って築かれているが、これらの丘陵南端部に「中野冨士山古墳」があるのは象徴的だ。特に浅川に向かって、西向き指向の31基あるとされる「ばくち穴横穴群」はもっと詳しく調査する必要があるかもしれない。
2019年4月13日土曜日
モントリオールのメトロに風が吹く
モントリオールで初めてメトロに乗った時、車両が走り始めると前方車両方向から風が吹いてきた。暑くもないのに誰かが窓を開けているのかと思った。そして、次の駅に近づいて車両が減速すると、こんどは後方車両方向から風が吹いてきた。こんなことを何度か繰り返していると、ハタと気が付いた。これは、中学生のころ習った慣性の法則の実験みたいだと。私たちが乗っていた車両は新型車両の様で、連結部分にドアが無い、先頭車両から最後尾まで筒抜け状態の車両でした。そのため、車両が発車すると車内の空気はそこにとどまろうとし、車体と人間は動き出す。要は人間が、そこにとどまろうとしている空気にぶつかっていくわけです。車両が減速すると、今度は止まろうとしている人間に、動こうとしている空気がぶつかってくるわけです。別路線の旧型車両にも乗りましたが、車両ごとに区切られているため、そのような現象は起こりませんでした。ちなみに、トロントでも、モントリオールの新型車両と似たタイプのメトロに乗りましたが、風は吹きませんでした。なぜなら、走行スピードが遅いから。モントリオールの新型メトロは、急加速、急減速で女性の髪がなびくほどの風が吹くのです。車両を製造しているのは中型旅客機製造有名なボンバルディア社で、強力なモーターとゴム製の車輪があるからのなせる技だと思います。地元の人たちは慣れているのか別に気にも留めない様子でしたが、私は、これはモントリオールの名物になるのではないのかと秘かに思っている。
2019年4月12日金曜日
2019年4月7日日曜日
北茨城市 台畑古墳群調査 4
仮称1号墳の西側にある仮称3号墳。径約30m。大規模な盗掘穴があるが、墳丘のオリジナリティーはこの古墳が一番残っているように思う。埴輪は不明。墳丘頂部に石材があった。北茨城市の古墳を概観すれば、築造立地がおおよそ2タイプに選別でき、それが築造年代と当時の職域とにリンクしていく可能性があるのかなと思ったりしている。 さてどうなるのか?
北茨城市 台畑古墳群調査 2
北茨城市磯原町大塚にある長福寺境内及びその付近にある「台畑古墳群」。この古墳群は、海岸線に沿った砂丘上に築かれた「矢指塚古墳群」や「天王塚古墳群」、「南塚古墳群」などと異なり、現在の大北川河口部から約3,5km内陸に入った標高20mほどの舌状台地に築かれており、前期古墳は河口部ではなく、内陸に築かれるとの見解に合致する可能性があるのかな?
それはともかく、この八幡神社地点の古墳を仮称1号墳とする。略測で約30mの円墳。摩滅した土器片を採集したが、埴輪ではなく弥生っぽい感じ。
2019年4月6日土曜日
北茨城市 台畑古墳群調査 1
北茨城市の古墳については、「北茨城市内の古墳と横穴」(北茨城史壇 4 昭和59年3月 瓦吹堅)が詳しい。この台畑古墳群、墳丘が現存するのは5基ほどであるが、地元の話から推察すると10基ほどが存在したらしいとある。 現状は3基が確認できるが、このポカポカ陽気では藪の中に入る気にもならず残りの2基は不明。
登録:
投稿 (Atom)