常陸太田市天神林町にある式内社の稲村神社。 祭神 饒速日命 天神様ほか八柱。 新編常陸国誌には、元は稲材(いなぎ)だったが、「材」の字と「村」の字が似ていたための誤って「稲村」と誤記され、それが定着してしまったとあります。
2021年11月30日火曜日
岩船神社から遠望してみる 2
常陸太田市天神林町にある式内社の稲村神社。 祭神 饒速日命 天神様ほか八柱。 新編常陸国誌には、元は稲材(いなぎ)だったが、「材」の字と「村」の字が似ていたための誤って「稲村」と誤記され、それが定着してしまったとあります。
2021年11月26日金曜日
岩船神社から遠望してみる 1
普段、常陸太田市 旧水府村を注視することはほとんどないが、たまたまグーグルマップで見ていると、山田川右岸の際、旧水府村西染245に「岩舩神社」があることに気が付いた。祭神はもちろん饒速日命で物部氏の遠祖とされている。なぜここにこの神社が。
2021年11月20日土曜日
永別
1925年12月1日 ~ 2021年11月16日 午後0時32分 母永眠
2021年11月15日月曜日
日立市森山町 吉田神社
日立市森山町にある「吉田神社」。 6号国道から山側へ少し入った位置にあります。
創建が驚きの延暦14年(795)だということで見学してみました。 棟札が日立市指定歴史資料に登録されています。 日立市の歴史と文化財についても勉強しないといけませんね。
2021年11月11日木曜日
沈下橋付近からの風景 2
竹瓦橋を東海村方面へ渡って堤防を越えてすぐのところに「香取神社」があります。
神社の周囲を木々が囲んでいる状況なので見つけにくいかもしれません。
まあ、香取と言う文字を見ると、三之分目大塚山古墳や鹿島神宮、千葉県と霞ヶ浦を流通路とする、古墳時代文化の交互の伝播とかが浮かんできてしまいますが、そんな名残がこの神社にもあるんでしょうか。
沈下橋付近からの風景 1
県道358号線に架かる留大橋から少し上流にある沈下橋の「竹瓦橋」。この橋付近から周囲を見渡してみました。
この橋が架かる久慈川が日立市と東海村との境界になっていると思っていましたが、この付近は東海村の飛び地になっていて、この橋の両岸は東海村の領域なんですね。
日立市側を眺めてみれば、舟戸山古墳がある久慈町方面が見え(4段目画像)、少し左に視線を振れば地元企業の研究所と大甕神社方面が見えてきます。
そして、東海村方面は、すぐ近くに現状は木々に遮られ直視できませんが、別当山古墳や座応権現山古墳、石神城跡等があります。 視点を変えると、改めて新鮮な視線で見ることが出来ますね。
2021年11月6日土曜日
日立市茂宮町 熊野神社
日立市茂宮町にある「熊野神社」。もとは久慈川の河川敷だったのではないのかなと言う立地にあるので見学に行ってみました。 常陸太田市の新地町にある神社と同じような、開拓農地に伴う神社なのでしょうか。 付近の畑は砂質の土のようでした。
2021年11月3日水曜日
投票日前日の梅津会館
久しぶりに梅津会館を訪れてみると、市の職員の方達が忙しく作業されていて、思わず何かあるんですかと聞いてしまった。 明日の準備ですと答えられて 瞬時に理解できなかった。 期日前投票を終えていた私には、31日の投票日は眼中になかったのです。 認知機能が低下しているんでしょうね。
それはさておいて、そんなわけで常設展は見学できなくて、企画展の来迎院に伝来したとされる「木造如来形坐像」を拝見しました。 12世紀ごろに造られたそうで、常陸太田には何でもあると再認識いたしました。
ところで選挙結果ですが、理念を無視した政党となんでも当たり前と思っている政党との痛み分けなのではないでしょうか。 昔、何でも反対とか、成田空港建設反対をとなえていた議員が、議員を引退してから成田空港を利用して海外旅行を楽しんでいたり、外務大臣なのに、私は主婦ですと発言したのがいましたが、まあ、政治家ではなく、政治屋だったんでしょうね。 今回、まだローカルな存在ですがまともそうな野党が票を伸ばしました。本当にに、勉強してまともなことをやってくれよと言いたいです。