2011年7月25日月曜日
古墳の状況は 舟塚古墳、雷電山古墳
小美玉市玉里にある「舟塚古墳」と「雷電山古墳」。ともに墳丘に問題はないようですが、大塚先生名文の石碑が倒れていました。昨年、明治大学博物館において、舟塚古墳出土埴輪の再整理作業の成果が示され、畿内とのつながりがあきらかになりました。先日読んだ文章で、稲村繁さんの「紺 色考」のなかに、紺色を使用した埴輪の系譜が語られ、その中に舟塚古墳も入っていました。意欲的な曽根俊雄さんは、玉里地区の古墳の墳丘築造規格の変遷と系譜を提示し。最近では、黒澤彰哉さんの「茨城型人物埴輪の背景にあるもの」で、被葬者の具体的な人物像もしめされています。
2011年7月24日日曜日
古墳の状況は 茨城町の古墳
茨城町野曽にある前方後方墳の「宝塚古墳」、涸沼川の対岸にある「諏訪神社古墳群」と「栗山古墳群」ともに問題無いようです。この時期藪には入りたくないので明細は分かりませんが。この宝塚古墳の付近は南小割遺跡があり、古墳時代前期の竪穴住居址127軒、方形周溝墓1基、有段口縁壺、小波状口縁の土器類が出ている注目の地域です。これは2年前、井先生が提示されていました。
ヨジラーと星神社古墳と
9時、10時まで寝ているなんてできなくなりました。早寝早起きといえば聞こえはいいですが歳ですかね。Tさんは違いますよ。昔、録画したりレンタルしたビデオで、小津安二郎監督の一連の作品を観ていた時期がありました。小津の映画のカメラアングルを「定点観測」と評論した人がいましたが、私のやっていることも、「定点観測」なのかなと思ったりして。もっとも、カメラと撮影技術は雲泥の差ですが。買いもらしたブツを求めて小美玉まで。
2011年7月18日月曜日
2011年7月11日月曜日
2011年7月10日日曜日
夏の古墳
私が県内の古墳めぐりをはじめたころの出来事です。土浦でも古いと考えられている、王塚、后塚古墳を観察するべく、7月の朝から暑い日、お寺のある所から古墳に向かえばよかったのでしょうが、そこは何も知らないというのは時には怖いものがありません。その時の私は、半そでのポロシャツと帽子(藪に入る場合頭部を保護するため私の必需品です)という装備で、畑と藪がある方向から進入し作業をされていたご夫婦に挨拶をして、藪を越えて后塚古墳の前まではそれなりに写真を撮り、脆弱な畑の土を踏み越えて王塚古墳に近づくと、そこには羽音も聞こえそうな吸血昆虫の群集が待ち構えていました。木の枝を拾いめちゃくちゃに振り回し、前方部から墳丘にのぼり写真を撮り、藪を抜け出してくると心拍数は上がり、呼吸は荒く熱中症のような状態でした。近くにコンビニがあるのを思い出し、店内に駆け込んでペットボトルのお茶を買い一気飲みにして一息つくと、両の手首から腕にかけて数箇所大きく腫れあがり、上半身蜘蛛の巣だらけの状態に気がつきました。数時間後腕の腫れは目立たなくなリましたが、不思議と痛くも痒くもなく無気味な感じがしました。教訓。藪に埋もれる古墳は夏に訪れるものではない。スズメバチも注意ですが、蝮注意と表示してある古墳もあります。
2011年7月4日月曜日
2011年7月3日日曜日
古墳の状況は 羽黒古墳
小美玉市竹原にある「羽黒古墳」。墳丘に問題はないようです。今回訪れてみてふと思ったのですが、盟主墳と思われる前方後円墳の後に築かれた大型円墳の立地は、この羽黒古墳は前方部側、梵天山古墳と高山塚古墳の関係も前方部側、鏡塚古墳と車塚古墳とは後円部側となっています。たんなる地形の問題なのでしょうか、それとも意味合いがあるのでしょうかね。
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