上段画像は、2010年当時金砂郷小学校保管の埴輪です。 2022年3月に小学校は廃校となり、現時点で私はこの埴輪の所在を把握していません。
下段の画像は、2011年3月の大震災で星神社古墳の後円部にあった社殿が倒壊したため、再建に向けて社殿を取り壊した状態です。
10月にパソコンを買い替えたおり、バックアップ用の外付けHDDに入っていた画像などを、しばらくぶりに確認したところ、懐かしい画像とともに存在を忘れていた文章が出てきました。
それは、上の画像の事象と中野冨士山古墳の発見がきっかけで、当時国士舘大学教授の 井 博幸氏 との共同調査研究が始まりました。 その成果を共著として「婆良岐考古 第35号」へ発表することになり、その下書きとして書いた文章でした。 ただ、紙幅の関係も考えずに書いた私の拙い文章ですから、井氏も困ったと思いますが、上手く要約していただいて掲載されました。
その忘れていた文章が出てきたのですが、まあ、当時は毎週のように活動していましたから、私の一つの画期になる文章なのでしょうか。 懐かしい思い出です。
興味のある方は以下次回をご覧あれ。

