2019年9月29日日曜日

集中曝涼2019


今年もそんな季節になりました集中曝涼。星神社古墳と梵天山古墳とが追加公開になります。

2019年9月20日金曜日

収穫・秋の空・蕎麦の花







被害をもたらした台風が去って、また台風が来るという狭間で稲刈りも進行しているようです。
星神社古墳付近の稲刈りはとっくに終わっている様子で、そして、蕎麦の花は今が真っ盛り。

2019年9月7日土曜日

残暑そして散歩











チラホラと咲く盛りが過ぎた蓮の花を見て、心が落ち着く大里の来迎院に参拝し、色づいてきた稲穂と星神社古墳に御挨拶。そして、イナゴにも御挨拶。 この後には台風が接近してくるとの天気予報が出ていますが、作物に被害が出なければ良いなと思うばかり。

2019年9月6日金曜日

ある歴史



何度も通っている道沿いにお墓があるのは理解していましたが、佐竹の歴史が込められていることにやっと気が付きました。まだまだ修行が足りないと自覚せざる負えません。

2019年8月25日日曜日

陰と陽




那珂市にある、今では観光名所になっている向日葵畑に行ってきた。改めて彼らは規則正しく活動していることを確認した。

2019年8月11日日曜日

資料から見えてくるもの





常陸太田市にある「星神社古墳」。古墳を囲むように育っている稲が首(こうべ)を垂れてきました。
この風景が元々の風景でないことは、2008年に田中新史氏とそのお仲間が発刊した土筆第10号に記述されていますが、さて、それ以前の状況はどうだったのかは、多分、鴨志田家古文書から推測するほか方法がないと思います。ただし、内容はおもに元禄年間と天保年間とに限られてしまうようです。これらは、故鴨志田昌夫氏が遺された「古文書を聴く 鴨志田昌夫歴史論文集 あずさ書店2016念9月1日発行」を参考にさせていただいていますが、延宝二年に光圀より拝領した現在の星神社古墳について、元禄二年当時の当主である鴨志田又左衛門君儀が残した古文書では「森」と表現しています。周辺を含めてのことなのかは不明ですが、光圀はそこにある「きつね穴」のみに執着しており、これを古墳と認識していなかったように見受けられます。那須の古墳の学術的発掘調査を指揮した光圀らしくない一面ではあります。

2019年8月9日金曜日

真夏の中野冨士山古墳





しばらくご無沙汰していました。常陸太田市中野町にある「中野冨士山古墳」。駐車場入り口に案内板が設置され、古墳への上り坂には階段が増設されていました。案内板の文字はなかなかのもんですね。 保存会の皆さんご苦労様です。