2025年11月18日火曜日

本当だろうか



 私の知人二人が執筆に参加している「歴史研究 特集 佐竹と常陸太田城」です。

この中で、イガレンジャー氏の文章の中に気になるものがあった。

「太田勝景誌という明治三十四年(一九〇一)に出版された書籍には、かつては、鯉沼という沼が城の東にあった。天然の水堀や灌漑の役割を果たしていたものと思われる。また、中世の伝承として岡田(常陸太田市岡田町)近くまで、海が入っていた(入海)とされる。太田城が海に接していた可能性がある。太田城は街道の要衝と水運を抑える拠点城郭だったのである。」

この岡田町やその西側に当たる地域の小沢町、磯部町、谷河原町、藤田町、そして梵天山古墳がある島町などは水田地帯が多く、海抜も似たよう高さになっている。

国土地理院の治水地形分類図を参考にすれば、久慈川とその支流も時代によっては流れを変えてきている歴史があり、島町付近の高台に上れば、久慈川の河口部が望める地点でもある。太田城まで海が迫っていたとすれば、中世においても梵天山古墳の付近まで海が迫っていた可能性も見えてくる。

ほんとかな?

2025年11月14日金曜日

私のルーツ展




常陸太田市にある梅津会館にて、企画展「私のルーツ」が開催されています。

佐竹氏第二十代当主義宣の重臣     大繩義辰

都々逸節の確立者           都々一坊扇歌

医者・農政家・北方探検家       木村鎌次

金砂田楽の祭主を千年以上務めた家系  古川家

水戸藩彰考館総裁           豊田天功

以上の先人の功績と資料が展示されています。  そして何より、ご子孫のご先祖に対する思いも展示されています。 見どころですね!

上の画像は、木村鎌次の北海道探検時の資料、アットゥシとご子孫です。
 

2025年11月12日水曜日

天心墓






北茨城市大津町五浦にある「岡倉天心墓」。 以前から訪れたいと思っていた天心墓です。

風光明媚な五浦海岸に六角堂などの近くにあり、周辺は見どころいっぱいです。

小さな古墳のようにも見えますが、東京巣鴨の染井霊園にあるお墓からの分骨だそうです。

お嬢さんの高麗子さんも(下のマウンド)この地に眠っています。
 

2025年11月2日日曜日

ひたちなか埋文だより


 ひたちなか市埋蔵文化財調査センターにお邪魔したときは、「埋文だより」の新刊をいただいてきます。 毎号中身の濃い冊子で、59号と60号は「ひたちなか海浜古墳群出土の人骨」の調査報告が掲載されていまして、その筋の専門の方のハイレベルな内容になっています。

他には、私も注目している大阪柏原市ある「高井田横穴群」も取り上げらています。  この地点は、横穴墓だけではなく「高井田古墳」も注目です。 そして、大和川を挟んだ対岸には、玉手山古墳群や津堂城山古墳を筆頭に古市古墳群が展開しており、まあ 注目だらけなんですけどネ。

そして、考古学協会会長 瓦吹さんの「私的茨城考古学外史ー遺跡・人 出会いと別れ」の連載もたのしく拝読しております。


2025年10月31日金曜日

ひたちなか 虎塚古墳と







 21日にお邪魔しました。 本当にしばらくぶりの「虎塚古墳」です。 見学しやすいように、きれいに整備されています。

虎塚を見た後は、ワンケースミュージアム65「海を臨む石棺墓」展を見学。

11年前の稲田氏の論考「イワキとヒタチ」のなかで、ひたちなかの太平洋沿岸に位置する古墳群を「ひたちなか海浜古墳群」していますが、この石棺墓群もその範疇に入っています。 論考の中では、イワキとのつながり強調されていますが、当然南方との関係性も示唆されています。  さかのぼれば十王台式から、太平洋を介在したそれらの基礎的なテクニックは、墓制はともかくある程度の範囲で構築されていたのではないでしょうか。 どうだろう?


2025年10月29日水曜日

2025 集中曝涼




パソコンを新しくして、データの移行やらもろもろを手間取って投稿ができませんでした。

2025年10月18日と19日に、恒例の常陸太田市で集中曝涼が開催されました。  私は、いつものように中野冨士山古墳保存会会長の塙さんからお誘いを受け、18日の午前だけ参加させていただきました。  気温が上昇するにつれて見学者も増えてきて、茨城大学の田中教授も学生の様子を見に来られて、さらに横倉さんも見えました。  もしかして、彼と会話するのは初めてだったかも。  もちろん地元の鴨志田Yさんもいらっしゃいました。

帰りがけに、梵天山古墳と星神社古墳の発掘調査で、ご一緒したOさんに会えるかなと思って星神社古墳の会場に寄ってみましたが、残念ながら不在でした。 また今度。


 

2025年10月14日火曜日

作山古墳と造山古墳


 画像は岡山県総社市の「広報そうじゃ」から拝借しています。

総社市にある「作山古墳」と岡山市にある「造山古墳」と、岡山県を代表する2基の古墳で発掘調査が進行中です。

「造山古墳は」、令和5年から断続的に調査を行っているということですが、遠いのでちょっと見学に行ってみるか、とはいかないのが残念です。

ちなみに、皆さんご存じでしょうが、「作山古墳」と「造山古墳」は、どちらも「つくりやまこふん」と読みます。 これらを呼称する場合、時には「造山古墳」を「ぞうざんこふん」と呼び、「作山古墳」と区別しやすくしています。