2025年3月28日金曜日

別れ


 昨日の夕方、兄が亡くなりました。

母が亡くなってからは、独居老人でした。

思春期のころからだったか、兄弟間での会話はほとんどなくなり、他人のような間柄になっていました。 それでも、少しは意識しあっていたようにも思います。

改めて、兄の部屋に入って書棚を見てみると、私より、少しは頭が良かったのかなと思いました。

物体の面では、たくさんの「モノ」を残してくれました。

精神世界の面では、残していった遺品から、兄の心象を覗いてみようと思っています。

別れの挨拶は、何がいいのだろうか。   ありがとう、またね・・・・。




2025年3月23日日曜日

常陸太田市 現説の後 お疲れさまでした



3月11日に埋め戻しが完了して、その日の夜中から翌日の日中までかなりの降雨があり、そのおかげで、埋め戻した土と墳丘の土壌とが馴染んできているような「梵天山古墳」です。

今回の調査では、白色粘土の層や一部に葺石が葺かれていたことや、謎の溝が有ったり、壺型埴輪が多数並べられていたのでは、などの、盛り沢山な成果があったと思っています。






 「星神社古墳」も同様に馴染んできているようです。

今回、この古墳の墳丘への調査はできませんでしたが、それでも、出土した埴輪から見てみると、従来のこれへ評価の修正が必要になるのかもしれません。 そして、墳丘の盛土の状況も推測できそうです。

久慈川とその支流の山田川・浅川にはさまれて、それらの上流域に位置する大方地区にある(あった)その後の古墳群へとつながっていくように見える、その前進基地ともいうべき立地にある常陸太田市の古墳の調査は、中野冨士山古墳の発掘調査から始まり、高山塚古墳、 梵天山古墳、星神社古墳へと、注目されている古墳群の発掘調査が行われてきました。 星神社古墳については、墳丘への発掘調査は、将来においては可能性があるとのことで、できれば私の体が動くうちにお願いしたいと思っています。

私は、これまで趣味の領域で、素人ながら考古学もどきを行ってきました。 その私が、久慈川流域に展開する重要な古墳群への調査に参加させていただいたことに、感謝申し上げます。

常陸太田市教育委員会、担当者のY氏、共に発掘調査に参加した女子2名、8名のジイサン、いや、おっさん達、ゲスト参加の茨大生女子1名の、私を含め12人はチームでした。 改めてありがとうございました。 そして、お疲れさまでした❣



2025年3月18日火曜日

常陸太田市 現説の後 7



梅も満開な星神社古墳です。 今日も昨日の続きで、埋め戻しです。

一部重機のお世話になりますが、遺物を探りながらの活動です。

追記                                         本日、私は所要があるため午前で失礼しましたが、夕方、担当のY氏より「本日すべての作業が終了しました」との連絡がありました。 

ともに活動した10名の皆さん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

  



 

2025年3月17日月曜日

常陸太田市 現説の後 6



椿も咲いている星神社古墳。  今日から、この古墳の埋め戻し活動が始まりました。

まずは手作業で、掘り上げた土の中の遺物を見落とさないように探りながら。


 

2025年3月13日木曜日

常陸太田市 現説の後 5



梅の花が真っ盛りの梵天山古墳です。 それに、花粉もトルネードシャワーのよう。

今日もトレンチの埋め戻しです。 予算の関係で重機は1日だけの助っ人で、残りは人力での活動です。 まさに、梵天山フィットネスクラブです。
 

2025年3月11日火曜日

常陸太田市 現説の後 4



星神社古墳では、午前中は昨日の続きで撮影。 梵天山古墳では、埋め戻しが始まりました。

まずは、後円部に入れたトレンチから、重機の力を借りながら、急な斜面での活動は体力が必要です。
 

2025年3月10日月曜日

常陸太田市 現説の後 3




 土筆が顔を出し始めてきた星神社古墳。 午前と午後に(大洗町のT氏)見学者が来訪するということで、トレンチの清掃を行いましたけど、粘土層があるため水が溜まっているので難儀している。

そして、計測と撮影も始まりました。

今日は、帰省している次女が弁当を作ってくれて、某テレビ局の「サラメシ」ならぬ、埴輪とともに「コフンメシ」です!