2026年5月24日日曜日

水戸市 愛宕山古墳と愛宕神社







水戸市愛宕町にある「愛宕山古墳」と「愛宕神社」。 しばらくぶりの再訪です。

この古墳と神社がある那珂川右岸の台地縁辺部には、他にも佐竹時代からの神社や江戸幕末期の墓地などもあり、それらを巡ってきました。

愛宕山古墳については、2018年に茨城大学が実施した測量調査の成果が発表されています。

茨城の中期の前方後円墳としては、舟塚古墳やひたちなかの川子塚古墳とともに重要な古墳ですよね。 それとともに、中期の大型円墳群についても注目していきたいです。
 

2026年5月21日木曜日

円墳をお忘れなく


梵天山古墳の至近にありながらあまり注目されていない大型円墳の高山塚古墳。      だんだんと緑に覆われていってます。 奈良市にある巨大円墳の富雄丸山古墳の発掘調査で、すごい異物が連続で出土していますが、円墳への解釈が変わっていくのでしょうか。






 これまた近くにあっても注目されない阿弥陀塚古墳。 墳頂部には、大阿闍梨の文字と裏面には享保十七年の年号が刻まれた暮石がありました。 ここにも歴史があります。

2026年5月20日水曜日

まだだった星神社古墳





星神社古墳の鳥居側にある、田んぼの田植えは終わっているものと思って来てみれば、まだでした。                                      水も入っていませんが、田んぼには白い小さな粒々がまかれています。 肥料なのでしょうか。

周辺の田んぼの田植えは、ほとんど終わっていました。 この季節の植物群は、生き生きと成長が早く、さらにだんだんと緑が濃くなって生気が充実していく様を見るのは、年寄りにはうれしい限りです。
 

2026年5月18日月曜日

笠間市 於伊都岐神社







吉備津神社から西方へ1kmほど行った、笠間市にある「於伊都岐神社(おいつきじんじゃ)」。
由緒碑などもなく、創建や祭神についての手掛かりがないので「新全国神社検索」のサイトと、「AI」に聞いてみました。
〇嘉永元年(1848)五月に全焼その際、旧棟札等焼失した。とあり創建は不明。
〇広島の厳島神社の古名が「伊都岐島神社」とあり、「伊都岐」と「於伊都岐」とが同系名で観念も継承しているのでは。
〇祭神は「市杵島姫命」・「稲倉魂命」・「誉田別命」となっている。

さて、この神社と吉備津神社と、どのような謂れがあるのでしょうか。
 

2026年5月17日日曜日

茨城町 吉備津神社







宝塚古墳から県道16号線を西方へ1.2kmほどの所にある、南栗崎公民館の脇を北西側に入って少し行ったところに鎮座する「吉備津神社」。
グーグルマップでこの神社を見つけたときは、なぜここにと思いました。たしか、主に岡山と広島にしかこの神社は存在しないはずだと。

境内にある「吉備津神社御造営之碑」を拝見すると、祭神は吉備津彦命。 日本武尊に従行し、日高見国とあり。関東唯一の名社なり。と自賛されていますが、いや、関東ではなく東日本唯一と言ってもいいのではないでしょうか。 創建は不詳のようで、吉備津彦は四道将軍として山陽道方面に派遣されていて、日本武尊とは時代が違うし、関東には関係ないように思いますが、なぜここにこの神社があるのか?


 

2026年5月16日土曜日

茨城町 宝塚古墳そのほか






茨城町野曽にある前方後方墳の「宝塚古墳」。本当に久しぶりです。 藪化していないんですね!有難い。この古墳については、ここから北東方向にある南小割遺跡とともにセットとして注目しています。 平成6年から平成7年にかけて茨城県教育財団の発掘調査が行われ、古墳時代前期とされる住居跡100軒以上が調査されています。当然、この古墳との関係性が推察されると思います。そして、出土している特徴ある波状口縁の壺類が、千葉県南部の木更津市周辺や栃木県の小山市周辺などとの関係性があるのではないのかなと指摘されています。



県道16号線から南小割遺跡方面を見たところです。 新たに道路と工業団地がが建設され、だいぶ景観が変化していますが、道路の南側、涸沼川沿いには田舎の風景が残っているように思います。

さて、今回はもうひとつ注目していることがあります。
国道6号線から県道16号線を西方面に向かって進んでいくと、県道沿いに八社ほどの神社がならんでいることに気が付きました。 これらの神社が、宝塚古墳との関係性があるとは思っていませんが、その中でも私が注目した二社を紹介したいと思います。 以下次回。

 

2026年5月13日水曜日

水木町散策

水木古墳群の観察がてら付近を歩いていると、小さな交差点の角に道標がありました。
今まで気が付かなかった!





そして、そこから少し北へ行ったところの三叉路の角に、蹴上不動尊がありました。これも今まで気が付かなかった。
石碑の由来記には、建立は未詳なれども、のほかに大宝二年(702)の年号が刻まれていますが、本当だとするとこれは注目ですね。