常陸太田市小島町にある、4月14日 14時14分の「星神社古墳」。
ぞろ目の数字には何の意味もありません。 水戸からこちらに来たので、たまたまそうなっただけです。 後円部の神社地点がきれいに掃き清められていて、鴨志田家の意識の高さが見えてきます。 私の心の古墳でもあるので、うれしいです。
ぞろ目の数字には何の意味もありません。 水戸からこちらに来たので、たまたまそうなっただけです。 後円部の神社地点がきれいに掃き清められていて、鴨志田家の意識の高さが見えてきます。 私の心の古墳でもあるので、うれしいです。
今回は「茨城県行方市大日塚古墳の研究」の購入案内のメールで、送料込みで¥2700です。 もちろん購入しました。
古墳に興味のある茨城県人は、ぜひ購入してほしいな‼
共に、赤矢印は「桜山古墳」地点を、青矢印は「舟戸山古墳」地点をそれぞれ示しています。
明治38年測図地図(以下地図)には、90度近く蛇行した久慈川河口部が表示されています。 これは、約50年前に直線的な流れになるよう、河口部の付替え工事が行われて現在に至っています。 上段画像の傾斜量図(以下量図)には、久慈川ではなく支流の茂宮川が表示されています。
さて本題ですが、地図上の桜山古墳は小さな丸で表示されています。当時も認識されていたんでしょうね。 舟戸山古墳は37.4mの三角点で表示されています。 この2基の古墳の間に展開している低地が現在の久慈町3丁目で、海抜が2mほどのため、この付近の住宅地は過去に何度も冠水被害にあっています。 そして、桜山古墳は、東からのびてくる丘陵の西端に築かれていて、舟戸山古墳は、丘陵北東端に築かれています。 この古墳それぞれが、久慈町3丁目を見下ろすように築かれているように見えます。 以上の状況を考え合わせると、この久慈町3丁目付近は湾のような地形で、古墳時代の港としての機能を持っていたのではないのかなと推測したいです。
なんか、ここまで書いてきて「そんなの知っとるわい!」と言われそうですね。メンゴ。
さて、しばらくぶりに日立市久慈町にある「舟戸山古墳」を訪ねてみたら、樹木が伐採されていてビックリ。 変身していました。 経緯は看板に表示されていますが、これは測量調査をするチャンスですね。 それをT先生に要望したK氏も、おそらく手伝ってくれるんでしょうから?
この古墳の埴輪は、画像5段目のお堂の下に埋納されていると伝えられています。