2024年6月23日日曜日

考古学協会総会・研究発表会



昨日は、考古学協会の総会と研究発表会が、県立歴史館で開催されました。
建屋に入ると、早々にT教授にお会いして、その後の経過をお聞きし雑談を少々。 会場では売り子をしていた大洗町のT氏と、久しぶりと挨拶。 彼の論考のコピーと、今年の年末に開かれるシンポのチラシをいただく。 皆さん参加しましょう!
そして、常陸大宮のH氏に古墳の測量の経緯をお聞きすると、去年の話だよと。前方後方墳だったと教えていただき、五所皇の前だと。 えっと驚く! 13号墳と命名されました。
研究発表では、ひたちなかのI氏の、常陸大宮市内原遺跡の注目の古墳時代前期の住居跡で、これまた常陸大宮かよ! 茨城大学の測量調査も含めて、今年の常陸大宮と久慈川流域はすごいなと思った次第です。
 

2024年6月21日金曜日

東京 浅草





 随分前に、上野にある鈴本演芸場で落語などを楽しんだことがありましたが、今回、浅草六区にある東洋館で「6月中席漫才大行進」という漫才オンパレードの寄席があるというので、見に行ってきました。 前半にはハマカーンやナイツが出演したので、満席で大いに盛り上がって楽しめました。

公演中の芸人さんの撮影・録音は厳禁でしたが、画像の「かんでぃ中野」さんは、60歳過ぎてから芸人を目指して修行中の64歳だそうで、前説やめくりの仕事をこなしていました。 そして、自分のはどんどん撮っていただいて結構なので、私を宣伝してくれと申しておりました。

2024年6月20日木曜日

東京 新橋

この駅も何年ぶりに来たのか思い出せないぐらいの 新橋駅.。都知事選挙の告示前ですが、駅前では選挙活動の準備が進められていました。





そして、駅からすぐの飲み屋街と言ってもいい通り沿いにある「烏森神社」。 常陸国にはこのような環境にある神社は考えられません。 だからこそ、お参りしたかった!

祭神は倉稲魂命・天鈿女命・瓊々杵尊となっています。 創建は天慶3年(940)    必勝祈願、商売繁盛に御利益あり。
 

2024年6月19日水曜日

東京 大森




以前から、日本の考古学の先達者でもあるモース先生にご挨拶したいと思っていました。

そんなわけで、まず大森にある大森貝墟碑を拝見。






この日は暑い中、結構歩き回っていたの疲れていましたが、大森貝塚遺跡庭園でモース先生に御対面出来ました。 まさしく、遺跡は線路わきにあるんですね。

 

北品川の町並み




品川神社の目の前にある北馬場参道通り商店街。 ここは大都会じゃなくて、昭和の香りが漂ってくるようです。 その他にも旧街道や船溜まりを眺めながらの散歩は楽しい。


ビルに囲まれた小さな公園に、神社じゃなくて豊川稲荷堂と言うお寺だそうで、ご夫婦がお参りされていました。
 

2024年6月18日火曜日

品川神社の富士








 品川神社への階段を上っていくと、左側に富士塚がそびえています。

これが見たかったということもありますが、江戸時代に築かれたと思っていたら、残念、明治2年築かれたそうです。 富士山への登山道、いや、登山階段は結構急で、注意が必要です。

眼下には、国道15号線と京急本線が走っています。

東京 品川神社








東京品川区にある「品川神社」。 祭神は天比理乃咩命。 創建は文治三年(1187)に
源頼朝が安房より勧請した、航海安全の神だそうです。 朝の8時頃ですが、すでに数名の方が参拝していました。
 

2024年6月17日月曜日

東京 品川






 通過することはあっても、降り立ったのは何年振りなのかも思い出せないほどの品川駅です。 以前がどうだったかも記憶に無いですが、江戸のはずれの宿場町だったのが、今は大都会でした。 品川泊の所用が有ったので、合間に都内散歩をしてきました。

2024年6月13日木曜日

高山塚古墳のつぎは 4



 日立市水木町にある「水木1号墳」。国道245号線の造成工事により、後円部が損壊しており、現状は約58mの前方後円墳となっているようです。 この古墳は、現在の久慈川まで5kmほどの距離があり、海岸線までは450mほどで、これを久慈川流域の首長墓として扱ってよいものなのか、むしろ海の古墳ではないのかと悩むところです。

ただ、古墳のオリジナルの規模を妄想すると、全長70m級の前方後円墳と復元できる可能性があり、さすれば、日立市域では最大規模の前方後円墳となりそうなので、取り上げてみました。 時期としては、佐藤政則さんは、舟戸山古墳の後で、西の妻古墳のちょっと前に想定されています。

それでは整理してみます。 K氏(許して)や佐藤さんの説を参考にさせていただいて、高山塚古墳の後に、桜山古墳。その次に舟戸山古墳。そして水木1号墳から西の妻古墳、そして、道場塚古墳へと首長墓の変遷を妄想しました。 ただ、水木1号墳は、久慈川流域に接する古墳群とは何らかの視線の違いがあったのではないかと妄想します? 

以上、あくまで素人の妄想ですので、惑わされませんようにお願いいたします。


2024年6月12日水曜日

高山塚古墳のつぎは 3



日立市久慈町にある千福寺の墓地に隣接してある「桜山古墳」。 この古墳は、私も何度か埴輪の捜索を行ってきましたが、採集できていません。



 古墳の規模は、国土地理院の機能を借用してみると、およそ50mほどの円墳に見えます。

立地も象徴的と見えますし、常陸太田市にある大方鹿島神社古墳が首長墓とするなら、この古墳も規模から見ても首長墓として扱ってもよいと思います。

築造時期ですが、これもK氏の説を参考にさせていただき、舟戸山古墳の前に造られたと妄想します。 佐藤政則さんも舟戸山古墳の前に位置づけされています。 墳丘の形については諸説あるようですが、測量調査が待たれます。