2022年7月3日日曜日

浅川のほとりから 5





 名もない橋から350mほど上流にある善光寺橋。 2段目画像の、小さな会社の前のT字路をを西側に折れると香仙寺があり、その境内には有名な直牒洞があります。そして、もう少し行くと善光寺横穴墓群があり、この付近は横穴墓群の集中地帯でもあります。そういえば、香仙寺から東へ200mほどの高台に円墳1基確認しています。

3段目画像は、善光寺橋から300mほど上流の堤防から西側方面を見たものです。 このお宅の(N氏)裏の高台には4基のマウンドがあり、いちばん東側にあるマウンドは径10mほどあり、古墳だと思われます。ちょうど、浅川を見下ろす立地になっています。 あと、3基のマウンドは径 数メートルで塚の可能性があるかもしれません。 そして、左側にある建物の奥へ100mほど入った地点に、数基の横穴墓群がありました。

道場塚古墳付近から大方の台地付近まで、蛇行しながら浅川と山田川は付かず離れず400m~700mほどの距離を保って流れています。4段目画像のように、至近に山田川の堤防が見え、大里の納豆屋さんの建物も見えています。 このような両河川の状況の下、浅川と山田川流域には重要な遺跡群があります。 これが、偶然なのか確信的なのか興味を覚えるところです。



2022年6月30日木曜日

浅川のほとりから 4




 副堰橋から上流へおよそ400mほどに、名も無い橋が架かっています。

この付近は常陸太田市松栄町、高低差が無く流れがよどんでいます。

下流側を見てみると、道場塚古墳の茂みが見えています(2段目画像)。 そこから道路をはさんで鹿島神社があり、神社を南端に馬の背状に丘陵が伸びていて(3段目画像)、頂部には、太田一校生徒の調査ではマウンドが11基ほどあるとなっていますが、塚か古墳かは不明です。

2022年6月29日水曜日

まともな地点



 毎日殺人事件があり、毎日のようにどこかで火事があり、毎日のようにいい年した大人が不可解な事件を起こし、日本って本当にいい国なんだろうかと、思ってしまう今日この頃です。

まあ、あんな国よりよっぽどましだとは思っていますが。

暑いですが、この地点はまともで、順調です。星神社古墳付近。

2022年6月28日火曜日

浅川のほとりから 3




郡戸橋から900mほど上流にある橋。 名前が分からないので地図で確認すると「副堰橋」とありました。  南東方向に郡戸小学校が見えています。生徒たちは代々小学校の敷地で多様な土器片を採集してきました。 橋の北側には道場塚古墳が見えます。
 地元の方の話によると、元は3段目画像あたりに橋が架かっていて、そのたもとに古墳碑があったようです。

2022年6月27日月曜日

浅川のほとりから 2





 浅川と久慈川との合流地点付近にある沈下橋から、およそ400mほど上流にある郡戸橋からの眺め。

東側に、中野冨士山古墳がある中野町の丘陵が間近に見えます。 その、浅川に向いた斜面に横穴墓群が築造されています。 これらについては、昭和33年に太田一校の生徒たちが調査をして、31基の横穴墓群の存在を明らかにしています。 私達はそれらの一部しか確認していません。 

下段画像は、郡戸橋から上流方向を見たものです。 かすかに郡戸小学校が見えています。

2022年6月25日土曜日

浅川のほとりから 1




梅雨が明けたわけでもないのにとても暑いです。 なので、今日は早々に退散しました。

常陸太田市の前期古墳、横穴墓などの重要な遺跡群は久慈川支流の浅川、山田川流域にあります。

それらを、浅川のほとりから眺めてみたら面白いのではないかと思い、まずは久慈川との合流地点から。

上段画像は、浅川の堤防から見た久慈川との合流地点付近ですが、植物が繁茂していて合流地点が見えません。 河川の流路は古代と今とでは違っている可能性は大ですが、まあ、古代の流路を探る能力もないので、今現在の浅川からの眺めです。

3段目画像は、梵天山古墳がある島町の丘陵。4段目画像は、中野冨士山古墳がある中野町の丘陵です。
 

2022年6月23日木曜日

たまには




所用で常陸太田市へ行ったついで、ではないですが、季節の栗の花、ザクロの花などを眺め、そうだ、ここまで来たのだから、高柿町にある蕎麦屋さんで食事にしようと、常連さんの真似をして、けんちんとカレーの付け蕎麦大盛を食してみました。 う~む、おいしい食べ過ぎでした。 このお店、電動石臼で粉を引いていました。