2025年11月8日土曜日

星神社古墳 星宮再建 1






 2011年3月11日の大震災で多くの被害がありました。 文化財においても例外ではなく、震災後に私が見て回った古墳でも、例外なく墳丘上に建立されていたものは倒壊していました。 

この画像は2011年3月27日に撮影したもので、この星神社古墳でも、後円部の星宮が損壊していました。 それだけではなく、前方部にある鴨志田家の墓石もことごとく倒れていました。

2025年11月7日金曜日

ここから始まった


 当ブログは2008年8月31日、この星神社古墳からスタートしています。

先月、パソコンを新しくしましたが、以前からセットしておいた外付けHDDの中に2010年頃からのデータが残っており、久しぶりに見てみたら、忘れてしまっていた画像や文章があって、私も思いで深いものがあり、何回かに分けて開陳しようと思います。

2025年11月2日日曜日

ひたちなか埋文だより


 ひたちなか市埋蔵文化財調査センターにお邪魔したときは、「埋文だより」の新刊をいただいてきます。 毎号中身の濃い冊子で、59号と60号は「ひたちなか海浜古墳群出土の人骨」の調査報告が掲載されていまして、その筋の専門の方のハイレベルな内容になっています。

他には、私も注目している大阪柏原市ある「高井田横穴群」も取り上げらています。  この地点は、横穴墓だけではなく「高井田古墳」も注目です。 そして、大和川を挟んだ対岸には、玉手山古墳群や津堂城山古墳を筆頭に古市古墳群が展開しており、まあ 注目だらけなんですけどネ。

そして、考古学協会会長 瓦吹さんの「私的茨城考古学外史ー遺跡・人 出会いと別れ」の連載もたのしく拝読しております。


2025年10月31日金曜日

ひたちなか 虎塚古墳と







 21日にお邪魔しました。 本当にしばらくぶりの「虎塚古墳」です。 見学しやすいように、きれいに整備されています。

虎塚を見た後は、ワンケースミュージアム65「海を臨む石棺墓」展を見学。

11年前の稲田氏の論考「イワキとヒタチ」のなかで、ひたちなかの太平洋沿岸に位置する古墳群を「ひたちなか海浜古墳群」していますが、この石棺墓群もその範疇に入っています。 論考の中では、イワキとのつながり強調されていますが、当然南方との関係性も示唆されています。  さかのぼれば十王台式から、太平洋を介在したそれらの基礎的なテクニックは、墓制はともかくある程度の範囲で構築されていたのではないでしょうか。 どうだろう?


2025年10月29日水曜日

2025 集中曝涼




パソコンを新しくして、データの移行やらもろもろを手間取って投稿ができませんでした。

2025年10月18日と19日に、恒例の常陸太田市で集中曝涼が開催されました。  私は、いつものように中野冨士山古墳保存会会長の塙さんからお誘いを受け、18日の午前だけ参加させていただきました。  気温が上昇するにつれて見学者も増えてきて、茨城大学の田中教授も学生の様子を見に来られて、さらに横倉さんも見えました。  もしかして、彼と会話するのは初めてだったかも。  もちろん地元の鴨志田Yさんもいらっしゃいました。

帰りがけに、梵天山古墳と星神社古墳の発掘調査で、ご一緒したOさんに会えるかなと思って星神社古墳の会場に寄ってみましたが、残念ながら不在でした。 また今度。


 

2025年10月14日火曜日

作山古墳と造山古墳


 画像は岡山県総社市の「広報そうじゃ」から拝借しています。

総社市にある「作山古墳」と岡山市にある「造山古墳」と、岡山県を代表する2基の古墳で発掘調査が進行中です。

「造山古墳は」、令和5年から断続的に調査を行っているということですが、遠いのでちょっと見学に行ってみるか、とはいかないのが残念です。

ちなみに、皆さんご存じでしょうが、「作山古墳」と「造山古墳」は、どちらも「つくりやまこふん」と読みます。 これらを呼称する場合、時には「造山古墳」を「ぞうざんこふん」と呼び、「作山古墳」と区別しやすくしています。


2025年10月10日金曜日

笠間稲荷神社





私が居住している地区の健康ウォークという行事があり、初めて参加しました。

全員が高齢者という男女38名が参加して、バスにゆられての笠間散策でした。 笠間稲荷神社にも立ち寄るということで参加したのですが、記憶にないくらいに久しぶりの笠間稲荷でした。
正面より、本殿がある裏門の方に見所がありました。 本殿そのものが素晴らしいですが、裏門にあったお狐様に子狐が抱き着いていて、おまけに狐塚もありました。