2011年3月11日の大震災で多くの被害がありました。 文化財においても例外ではなく、震災後に私が見て回った古墳でも、例外なく墳丘上に建立されていたものは倒壊していました。
この画像は2011年3月27日に撮影したもので、この星神社古墳でも、後円部の星宮が損壊していました。 それだけではなく、前方部にある鴨志田家の墓石もことごとく倒れていました。
茨城県在住の元サラリーマンです。
この画像は2011年3月27日に撮影したもので、この星神社古墳でも、後円部の星宮が損壊していました。 それだけではなく、前方部にある鴨志田家の墓石もことごとく倒れていました。
他には、私も注目している大阪柏原市ある「高井田横穴群」も取り上げらています。 この地点は、横穴墓だけではなく「高井田古墳」も注目です。 そして、大和川を挟んだ対岸には、玉手山古墳群や津堂城山古墳を筆頭に古市古墳群が展開しており、まあ 注目だらけなんですけどネ。
そして、考古学協会会長 瓦吹さんの「私的茨城考古学外史ー遺跡・人 出会いと別れ」の連載もたのしく拝読しております。
虎塚を見た後は、ワンケースミュージアム65「海を臨む石棺墓」展を見学。
11年前の稲田氏の論考「イワキとヒタチ」のなかで、ひたちなかの太平洋沿岸に位置する古墳群を「ひたちなか海浜古墳群」していますが、この石棺墓群もその範疇に入っています。 論考の中では、イワキとのつながり強調されていますが、当然南方との関係性も示唆されています。 さかのぼれば十王台式から、太平洋を介在したそれらの基礎的なテクニックは、墓制はともかくある程度の範囲で構築されていたのではないでしょうか。 どうだろう?